ミネアポリスのミュージック・ランドマーク プリンスのペイズリー・パークが一般開放! 世界の音楽聖地を歩く 第17回

コラム | 2016.10.12 17:00

photo courtesy of Paisley Park - NPG Records

プリンスのアイコンが散りばめられた自然光が射し込む吹き抜けの中央広間
photo courtesy of Paisley Park – NPG Records

TEXT・PHOTO / 桑田英彦[特記以外]

今年4月21日に57歳の若さで急逝した天才ミュージシャン、プリンス。彼が独自のセンスとフィロソフィーを注いで1987年に設立したペイズリー・パークは、レコーディング・スタジオ、自宅、コンサート・ホールを含む複合施設である。ミネソタ州ミネアポリス郊外のチャナッセンという小さな町にあり、敷地面積は約6,000平方メートルという広大な敷地を有する。一部のメディアに部分的に公開されたことはあるが、その全体像は長年に渡り秘密のベールに包まれていた。そのペイズリー・パークが2016年10月6日についに一般公開され、ファースト・チケットを入手したラッキーなファンが世界中から訪れた。

右側の建物がスタジオと自宅、左側の円形の建物がコンサート・ホール

右側の建物がスタジオと自宅、左側の円形の建物がコンサート・ホール

「午前8時、ペイズリー・パークの正面玄関に到着!」

4年ほど前に取材でミネアポリスに滞在した時、市の観光局にペイズリー・パークの取材の手配を打診したところ、「世界中のメディアから取材リクエストがくるけれど、ペイズリー・パークは取材撮影を一切受け付けてくれません」と即答されてしまった。ペイズリー・パークでレコーディングした経験のあるミュージシャンでさえ「内部の撮影は許可されず、見つかると追い出されるんだ」と語っている。内部にはスタジオやラウンジなど多くの部屋があり、あらゆる場所が紫色に染められ、ミステリアスな絵が飾られ、いつもラベンダーの香が焚かれていて……こういった話が漏れ伝わっていたので、何としても訪問してみたかったのだ。「行けばなんとかなるかも」などと考えレンタカーを運転して行ってみたが、ゲートは閉じられ、内部にアクセスする方法は一切なかった。その閉ざされていたゲートが今回は開かれ、セキュリティにIDを提示し訪問者リストに名前があることを確認された後、念願だったペイズリー・パークの敷地内に入ることができた。

ペイズリー・パークのツアー運営会社の幹部、ジョエル・ウェインシャンカー氏

ペイズリー・パークのツアー運営会社の幹部、ジョエル・ウェインシャンカー氏

「プリンス自身が望んだペイズリー・パークの公開」

ペイズリー・パークのツアーは、メンフィスにあるエルヴィス・プレスリーの邸宅「グレイスランド」のツアーを運営しているグレイスランド・ホールディングスが担当している。午前8時半を過ぎた頃、ペイズリー・パークの正面入り口前に集まったメディアに向けて、マネージング・パートナーのジョエル・ウェインシャンカー氏のブリーフィングが始まる。彼自身もプリンスの大ファンで、彼の突然の死について語った時には涙ぐむ場面もあった。
「ペイズリー・パークの公開はプリンス自ら計画し、実現を望んでいたのです。そしてここがプリンス・ファンのみならず、多くの人たちにプリンスを知ってもらえるきっかけとなる場所になればと考えています。公開される部屋の中には、プリンスが生前使用していたままの部屋もあれば、衣装や数多くのメモラビリアを飾るために改装した部屋もあります。レコーディング・スタジオを含め、どのように公開するか、どのように改装するか、こういったことすべてをプリンスが信頼していたスタッフたちの手に委ねました。プリンスの死からまだ数ヶ月、ペイズリー・パーク公開は時期尚早ではないかと言う声も一部にはあります。しかしこの広大な敷地と立派な建物を維持するには常に入念なメンテナンスが必要です。しかも内部には7000点を超えるプリンスのメモラビリアの数々、そして貴重な楽器や機材が保管されています。これらのコンディションを保つには相当な手間と費用がかかりますが、放置するわけにはいきません。今回の一般開放における収益はペイズリー・パークの施設維持、擁する貴重なコレクションの保存に充当させる予定です」

初日の最初のツアーに参加するファンを乗せたシャトルバス。左の写真の女性がグロリア・ブラウンさん。

初日の最初のツアーに参加するファンを乗せたシャトルバス。左の写真の女性がグロリア・ブラウンさん。

「午前9時、ファンを乗せた最初のシャトルバス到着」

9時に到着した第1便のシャトルバスから降りてきたファンたちは、無事にペイズリー・パークを訪れることができた喜びと安堵の表情にあふれていた。それもそのはずで、10月6日の一般開放日の前々日の深夜、ペイズリー・パークのあるチャナッセンの市議会は「ペイズリー・パークのオープンによる周辺の急激な交通渋滞や観光客の増加を懸念し、開館による影響の調査が完了するまで公開を差し止める」との内容を決議したのだ。しかしオープンから1か月先までのチケットは販売済みである。この騒動は二転三転し、5日の午前中に市議会はとりあえず3日間だけのテンポラリーなペイズリー・パーク公開を認めることになった。2マイルほど離れた場所にトランジット・センターが設けられ、ファンはそこでシャトルバスに乗りペイズリー・パークに到着するという、周辺住民に配慮した交通手段が取られることになり、集合場所などはチケット購入者各人にメールで伝えられた。シカゴから8時間かけて母親と一緒に車でやってきたグロリア・ブラウンさんは、1か月以上前に初日の最初のツアーのチケットを購入し、公開中止の知らせを聞いた時は言葉も出なかったという。この日シャトルバスから降りてきたファンたちは、市議会によって繰り返された変更に振り回されてペイズリー・パークに到着したファンばかりである。初日だけで数千人がツアーに参加しているという。10月8日と14日はオープンすることが決まっているが、それ以降のスケジュールについては今後順次発表されていくことになる。

スタジオAのコントロール・ルーム photo courtesy of Paisley Park - NPG Records

スタジオAのコントロール・ルーム
photo courtesy of Paisley Park – NPG Records

「プリンスの遺骨や数々のメモラビリアを展示」

小さなロビーに入るとその先にはカラフルな間仕切りがあり、さらに進むと自然光が射し込む吹き抜けのゆったりとした広間に出る。床には有名なプリンスのシンボル(日本ではラブシンボルとも呼ばれている)が描かれ、壁面にはゴールドディスクや写真が飾られている。この広間にはセラミック製のペイズリー・パークの縮尺模型が設置され、これは特別製の骨壷でプリンスの遺骨はここに埋葬されているのだ。このたびの公開では広大な邸宅のうち、1階にあるレコーディング・スタジオ、ビデオ編集スタジオ、プライベートなパフォーマンスに使ったコンサート・ホールやリハーサル・ルームなどが公開され、ステージ衣装、楽器、バイク、受賞トロフィーなど多くのメモラビリアもテーマ別に展示されている。スタジオAは『Lovesexy』 『Batman』『Diamonds & Pearls』『The Gold Experience』『The Black Album』そして『Sign O’ The Times』といった、プリンスの足跡のアイコンともいうべき多くの作品がレコーディングされたスタジオだ。コンソールにはプリンスのシンボルが刻印され、スタジオ内は彼が使用していた当時のまま保存されている。 コントロール・ルーム内にはプリンスが愛用したギターやキーボードとともに、直筆の手書きメモなども飾られている。彼は死の直前まで次回作となる予定だったジャズ・アルバムのレコーディングをここスタジオAで続けていたのだ。

パープル・レイン・ルームに展示された映画に登場した紫のモーターサイクル photo courtesy of Paisley Park - NPG Records

パープル・レイン・ルームに展示された映画に登場した紫のモーターサイクル
photo courtesy of Paisley Park – NPG Records

「やはりハイライトはパープル・レイン・ルーム」

内装にアーチ状のレイアウトを効果的に取り入れたペイズリー・パークは、ロサンゼルスの建築家、ブレット・ソーニーが設計した建造物で、総工費は1980年代中期で15億円に及び、完成までに3年の歳月を費やしている。各部屋は「グラフィティ・ブリッジ」や「パープル・レイン」など、プリンスのアルバム・タイトルが各部屋のテーマとして設定されており、ハイライトはやはりパープル・レイン・ルームである。スクリーンに登場したパープルのモーターサイクル、のちにトレードマークとなる白いクラウド・ギター、数々のコスチューム、アカデミー賞、グラミー賞という映画と音楽がともに獲得したオスカー、そして台本など、『パープル・レイン』関連のメモラビリアが並ぶ。続くサウンド・ステージには紫色のピアノ(ヤマハ製)がセットされており、このピアノをプレイした今年1月のステージが、プリンス最後のペイズリー・パークでのパフォーマンスとなった。膨大な数があるという未発表音源が保管されている地下のストレージ、本人のゴージャスな住居だった2階は未公開である。ペイズリー・パーク・ツアーの料金だが、通常料金は$38,50(70分)、VIPツアーは$100(100分)、VIPツアーは見学できる部屋やスタジオの数などが多くなっている。

現在でも連日賑わうナイトクラブ「ファースト・アベニュー」

現在でも連日賑わうナイトクラブ「ファースト・アベニュー」

「プリンスのミネアポリスゆかりの地」

ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンなどに大きな影響を受けたプリンスは、このファンクの要素にあらゆるジャンルの音楽を自在に取り込み、ミネアポリス・サウンドと呼ばれる音楽を生み出す。このムーブメントの中心的ベニューとなったのが、ミネアポリス・ダウンタウンの中心にある「ファースト・アベニュー」というナイトクラブである。映画『パープル・レイン』の演奏シーンなど多くのシーンがここで撮影された。制作会社はファースト・アベニューに10万ドルを支払い、クラブを25日間クローズして『パープル・レイン』の撮影を行ったのだ。ミネアポリス観光局ではプリンスの足跡を訪ねる「Prince’s Minneapolis」というツアーを正式にアナウンスしており、ペイズリー・パークとファースト・アベニューはこのトレイルのハイライトとなっている。
10月13日にはミネアポリスに隣接するセント・ポールにあるエクセル・エナジー・センターにて、スティーヴィー・ワンダー、クリスティーナ・アギレラ、チャカ・カーン、ジョン・メイヤーなど数多くのスーパースターたちが出演してプリンス追悼コンサートが行われた。

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ミネアポリスにはデルタ航空が直航便を就航させており、10月30日には羽田を昼間の時間帯に出発するミネアポリス便がスタートする。ミネアポリス/セント・ポール国際空港は、デルタ航空の米中西部のハブ空港として、中西部の各都市をはじめ、東海岸や南部の都市を結ぶ交通の要所となっている。羽田-ミネアポリス便を利用すると、ミネアポリスから先、北米110都市に乗り継ぎが可能である。ミネアポリスでプリンス・トレイルを満喫したら、ナッシュビルでカントリー・ミュージックの真髄を楽しみ、メンフィスではエルヴィス・プレスリーのグレイスランドやサン・レコードなどのロックンロールゆかりの地を訪ねる。そんな旅もスムーズに実現可能である。

プリンス・ペイズリー・パーク

 

関連リンク

■Prince’s Paisley Park
https://www.officialpaisleypark.com

■Prince’s Minneapolis
http://cdn.minneapolis.org/digital_files/8157/princeminneapolistour.pdf

■First Avenue
http://first-avenue.com

■Delta Air lines
http://ja.delta.com

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。