世界の音楽聖地を歩く 第5回:オアシス「サム・マイト・セイ」

2016.04.2017:30

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TEXT・PHOTO / 桑田英彦

1995年にオアシスが発表した楽曲『サム・マイト・セイ』は、バンドとして初の全英シングル・チャート1位を獲得した。もちろんノエル・ギャラガーの作詞・作曲である。彼らしい観念的な表現を多用しながら世間の矛盾をシニカルにアピールするという、じつに含みの多い曲に仕上がっている。そして一筋縄ではいかないオアシスの歌の世界を見事なアートワークで表現したのが、クリエイティブ集団「マイクロドット」(写真上)を率いるデザイナー、ブライアン・キャノン(写真右下)である。彼はフォトグラファーのマイケル・スペンサー・ジョーンズと組んで、オアシスの世界観を見事にジャケットに刻み込みながら、一流の”オアシス・ブランド”を作り上げた。その代表作が『サム・マイト・セイ』でのアートワークである。この歌の[I’ve been standing at the station. In need of education in the rain]という歌詞がキーワードになり、ジャケットのコンセプトには「駅で到着することのない列車を待っている人たち」というノエル・ギャラガーのアイデアが採用された。2週間かけてイギリス全土をロケハンした結果、マンチェスターの南東100キロに位置する、マットロックという小さな村の南端にあるクロムフォード駅(写真下)が撮影場所に決定した。

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『サム・マイト・セイ』のジャケット撮影が行われたクロムフォード駅。ダービーシャー州の静かな森の中にたたずむ幻想的な空間だ(Cromford Railway Station:Lea Road Cromford, Matlock DE45JJ)

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[画像左]モノクロ写真を彩色して製作された『サム・マイト・セイ』ジャケット [画像右]クリエイティブ集団マイクロドットを率いるブライアン・キャノン

『サム・マイト・セイ』のジャケット(写真左上)に写っている人たちはすべて関係者である。駅舎の後ろに架かる橋の上で手を振っているのはリアム・ギャラガー、プラットホームから水を撒いているのがノエル・ギャラガーである。手押し車を押しているのはブライアン・キャノンの父親で、モップを持っているのは彼の母親だ。他はすべてマイクロドットのスタッフたちである。フォトグラファーのマイケルはこのジャケット写真をなんとモノクロのフィルムで撮影したのだ。そしてスタジオに持ち込み、およそ2週間をかけて水彩絵具とブラッシュワークを用いて彩色している。この精緻な作業によってシュールで超現実的なエフェクト効果をものにしたのである。ブライアンとマイケルが手がけた一連のオアシスのアートワークは250部限定で『アウト・オブ・ブルー』という写真集にまとめられている。ノエル・ギャラガーとブライアン・キャノンの付き合いは古く、彼らの出会いはオアシスのデビュー前にさかのぼる。ノエルはインスパイラル・カーペッツというバンドのローディーとして働いていた時代があり、このバンドのオフィスが、設立間もないマイクロドットと同じビルに入っていたのがきっかけである。「よくエレベーターの中で顔を合わせていたよ」と後にブライアンは語っている。

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[画像左]社会の現実を“曖昧な空気感が漂う早朝の風景”をアピールするジャケット [画像右]ロンドンのソーホーにあるベリック&ノエル・ストリートの交差点

レコード・ジャケットやロゴなどを含め、1990年代のオアシスのアートワークはすべてブライアン・キャノンが手がけたものだ。[No Photoshop Digitisation](画像加工ソフト“Photoshop”を用いない)が彼のモットーで、画像にデジタル処理を施さず、どこまでもリアル画像にこだわった。記録的なセールスを記録したオアシスのセカンド・アルバム「モーニング・グローリー」(写真左上)のアートワークについて、ノエルとブライアンは延々とミーティングを繰り返していた。最初にノエルが伝えてきたアルバムのテーマは、“暴動・無秩序・アナーキー”だったが、実際にはこのイメージからかけ離れたトラックが出来上がってきたからだ。長い話し合いの結果、「モーニング・グローリー」のジャケット・コンセプトは、社会の現実を“曖昧な空気感が漂う早朝の風景”で表現することとなり、撮影場所はロンドンのソーホーにある、ベリック・ストリート&ノエル・ストリート(写真右上)の交差点と決定した。早朝のストリート、2人の男が歩きながら互いに近づいてくる。「彼らは味方なのか敵なのか、友人同士なのか見知らぬ他人なのか、良い人間なのか悪者なのか、立ち止まって話すのかただすれ違うのか」。ジャケットの写真はこういった現代社会の不確実な現実をアピールしたものであり、これがノエルとブライアンが決めた「モーニング・グローリー」のコンセプトである。この場所は世界中のオアシス・ファンに知れ渡り、ロンドンでも有数の撮影スポットとなっている。

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『シェイカーメイカー』の歌詞に登場するシフターズ(177 Fog Lane Burnage, Manchester M20 6FJ)

オアシスの故郷、マンチェスターには「オアシス・バス・ツアー」があり、周辺に点在する彼らのゆかりの地を手軽に楽しむことができる。このツアーのハイライトがレコード・ショップ・シフターズ(写真上)である。彼らのデビュー・アルバム「ディフィニトリー・メイビー」に収録され、シングル・カットされた『シェイカーメイカー』の歌詞に登場するレコード・ショップだ。この曲のオフィシャル・ビデオにも店の外観や内部の様子が、レコードを選んでいるリアムの姿とともに映し出されるので、オアシス・ファンには有名な場所となっている。ノエルは16歳の頃この店に入り浸り、レコード・ハンティングを繰り返したという。店主のミスター・シフター曰く、いつもノエルは「将来はジョニー・マーのようになりたい」と話していたという。内装、外装ともにノエルが入り浸っていた当時のままである。

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『シェイカーメイカー』のPVに登場するシフターズの店内。アナログ盤で埋め尽くされている

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[画像左]1972年からギャラガー一家が暮らした家(5 Cranwell Drive Burnage, Manchester M19 1SA) [画像右]様々な音楽をギャラガー兄弟に教えたミスター・シフター

シフターズがあるマンチェスター郊外のバーネイジは典型的な労働者階級の町で、ギャラガー兄弟も両親とともに1972年からこの町で暮らした。一家が暮らした家(写真左上)はシフターズから徒歩で10分ほどの場所にあり、彼らの母親は現在もここで暮らしている。シフターズは1970〜80年代のロックやポップスが中心の品揃えで、アナログ盤が中心である。『シェイカーメイカー』の歌詞に登場するミスター・シェイカー(写真右下)は今も健在で、毎日店の奥のカウンターに立ち、仕入れたレコードの綿密なリスト作りをしながら接客にあたっている。ノエルはこの曲の中で彼についてこう歌っている。「ミスター・シフターは歌を売ってくれた、僕がちょうど16歳のときにね。いま彼は信号の前で立ち止まっているけれど、信号がグリーンになった時には、また一緒に音楽に合わせて踊ろうよ」。

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マンチェスターのミュージック・アイコンとして存在した「ザ・ボードウォーク」のビル(21 Little Peter St, Manchester M15 4PS)

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[画像左]壁面に設置された「ザ・ボードウォーク」のブループラーク  [画像右]クリスティーズのオークションに出品されたノエルの直筆が残るカセットテープ

1980年代後半から90年代にかけて、この街の音楽は”マンチェスター・イヤーズ”と呼ばれたほど盛り上がった。オアシスやストーン・ローゼズはじめ、マンチェスター出身のバンドが次々に世界的な成功を収めていったのだ。この時代の盛り上がりを牽引したのが伝説のクラブ「ザ・ボードウォーク」だ。オアシスはこのクラブの地下でリハーサルを重ね、1991年8月18日に「ザ・ボードウォーク」で初ライブを行った。オアシス加入前だったノエルは、この時は客席からライブを観ていて、その後リーダーシップを自分に委ねることを条件にオアシスに加入したという。翌年の1月14日にはノエル加入後のオアシスが出演し、この時の演奏を録音したカセットテープ(写真右上)は、2010年のクリスティーズのオークションに出品され高値で競り落とされた。ちなみにこのカセットテープのレーベルに記された文字はノエルの直筆である。

オアシス「サム・マイト・セイ」

オアシス「シェイカーメイカー」

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。