世界の音楽聖地を歩く 第6回:ロバート・ジョンソン「クロスロード伝説」の真実

2016.05.0214:00

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TEXT・PHOTO / 桑田英彦

ミシシッピ州クラークスデイル。人口約18,000人の小さな町だが、デルタ・ブルース愛好家にとってはまさに聖地ともいうべき場所である。ジョン・リー・フッカー、アイク・ターナー、サム・クックなど多くのミュージシャンを輩出し、マディ・ウォーターズも幼少時代から1943年にシカゴに引っ越すまで暮らした町だ。しかしクラークスデイルがブルース聖地として世界中のブルース・ファンを誘い寄せる一番の理由、それは「クロスロード伝説」である。”ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売った場所”として伝わる十字路(クロスロード)がこの町にあり、この悪魔との取引によって、彼は超人的な歌とギター・テクニックを手に入れたとされている。もちろんこれは伝説であり与太話である。しかしロバート・ジョンソンが1936年、37年の2回のセッションで録音した『クロスロード』や『ラブ・イン・ヴェイン』などを含む彼の自作29曲を聴いてみると、誰しもこの伝説が実話だと思える卓越したギター・プレイと鬼気迫るボーカルに圧倒されるはずである。ゆえにこの伝説は未だに語り継がれ、多くのブルース・マニアが伝説のクロスロードを目指してクラークスデイルを訪れるのだ。

 

伝説と真実の垣根がなくなったクロスロード

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[画像左]新道の61号線と49号線の交差点に設置されている”CROSSROADS”のモニュメント [画像右上]旧道であるタラハッシー通りとマーティン・ルーサー・キング通りの交差点に建つ標識 [画像右下]クラークスデイルの観光名所ともなっているデルタ・ブルース・ミュージアム

クラークスデイルのホテルや町中のブルース・クラブではこんな会話をよく耳にする。
「ロバート・ジョンソンのクロスロードに行きたいんだけど、いったいどこにあるんですか?」
すると聞かれた方は、クラークスデイルの”観光マップ”を指差しながらこう答えるのだ。
「本当のクロスロードはね、この61号線と49号線の交差点で、モニュメントが建っている場所だよ」
不思議な会話である。尋ねる方も答える方も、伝説と真実の垣根がなくなっているのである。ロバート・ジョンソンが悪魔と取引をした場所をいったい誰が特定したのだろうか。確かに町の観光マップにも★マーク付きで”CROSSROADS”と記載されているし、有名なガイドブックにも掲載されている。しかし『クロスロード』の歌詞の中にも場所を特定するような内容はないし、ロバート・ジョンソンと直接交流があったブルースマンたちも「彼は驚くほど短期間にギターが上達した」とは話しているが、悪魔との取引やその場所などは言及していない。
実際にこの場所を訪ねてみると、”CROSSRODS”と記された土台の上に、3本のギターと61と49のサインを組み合わせた立派なモニュメントが建っている。ここで新たな疑問がわくのである。周辺を眺めてみると61号線も49号線も道路幅の広い新道ではないか。ロバート・ジョンソンが悪魔と取引をしたのは1930年代の中頃のことである。こんな立派な新道が開通しているわけがない。クラークスデイルで長年暮らしているブルース研究家にこの矛盾について尋ねてみた。
「その通り!本当のクロスロードはね、旧道の49号線と61号線の交差点、つまり現在のタラハッシー通りとマーティン・ルーサー・キング通りの交差点なのさ」
ブルース研究家までが真顔で”本当のクロスロード”と語るのである。このように「クロスロード伝説」は今でも健在で、ディテールについてここまで丁寧に答えが用意されているのだ。

 

女癖の悪さにより毒殺されたロバート・ジョンソン

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クラークスデイルのデルタ・ブルース・ミュージアムに展示されている、ロバート・ジョンソンが最後に演奏したジューク・ジョイント”スリー・フォークス”の看板

ロバート・ジョンソンは1ヶ所に定住することなく、ミュージシャンとしての人生をホーボーとして暮らした。ミシシッピを飛び出して旅を続け、シカゴ、デト ロイト、ニューヨーク、そしてカナダまで足を伸ばしている。録音した29曲の中からは『テラプレイン・ブルース』がベストセラーとなり、彼の名前は全国的 に知れ渡った。すでに女癖に関して悪評の高かった彼は、有名になったことで一段と手のつけられない存在になっていく。1930年の夏、彼はハニー・ボー イ・エドワーズと共に、”スリー・フォークス”というジューク・ジョイントで数週間演奏するためミシシッピ州グリーンウッドに向かった。この店のオーナーの妻は情熱的で、ロバート・ジョンソンの女癖の悪さに瞬く間に火を点けたのである。グリーンウッドの町でデートを繰り返す2人の仲は、間もなく店のオー ナーである夫に知られることになる。1938年8月14日の夜、嫉妬に狂った夫は店に出演していたロバート・ジョンソンに毒を盛ったウィスキーの小瓶を手 渡し、彼は疑いもせずこれを飲んだのだった。もがき苦しみながら2日間はなんとか持ちこたえたが、8月16日、天才ブルースマン、ロバート・ジョンソンは 肺炎を発症して、わずか27歳でこの世を去った。”スリー・フォークス”の店舗は改装されたが、当時の看板はクラークスデイルにある”デルタ・ブルース・ ミュージアム”に展示されている。

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ミシシッピ・ブルース・ファンデーションが正式に認定したロバート・ジョンソンの墓。ロバート・ジョンソンが紙に書き記した直筆文字が刻まれている

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ロバート・ジョンソンが眠るリトル・ザイオン・バプティスト教会は町外れにひっそりと建っている

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リトル・ザイオン・バプティスト教会の前に設置された”ロバート・ジョンソン・グレイブ”のブルース・トレイル・マーカー

毒殺されたロバート・ジョンソンは、グリーンウッドの町はずれにあるリトル・ザイオン・バプティスト教会の墓地に埋葬された。グリーンウッドの町には”ロバート・ジョンソン・ライフ&レガシー
・ツアー”という、彼のゆかりの地をまわるトレイル・コースが設けられている。そのハイライトがこの墓地なのだが、伝説だらけのロバート・ジョンソンらしく、このコースには3ヶ所も彼の墓があるのだ。ミシシッピ・ブルース・トレイル・ファンデーションが正式にトレイル・マーカーを設置するために3ヶ所ある墓の設置経緯を調べた結果、この場所の墓が本物と認定されたのである。決め手になったのはローズ・エスクリッジという女性の証言だ。役所から提供されたパイン材の棺に入ったロバート・ジョンソンをここに埋葬したのが彼女の夫トムで、ローズはその一部始終を見ていたのである。この墓標は、ブルース研究家であり、ロバート・ジョンソンの写真などの権利を保有しているスティーブ・ラヴィアが2002年に寄贈したものだ。墓石には、死の床で話すことができなくなったロバート・ジョンソンが紙に書き記した直筆文字(ロバート・ジョンソンの妹、ケアリー・トンプソンが鑑定した)が刻まれている。

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桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。