レディオヘッド「アビンドン・スクール」 世界の音楽聖地を歩く 第11回

コラム | 2016.07.09 18:00

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

オックスフォード郊外にある13世紀の創設されたアビンドン・スクールは、全寮制の由緒ある私立の名門校である。今年の全英名門校ランキング「トップ・ボーイズ・オンリー・ボーディング・スクール」で堂々9位に選ばれており、学費の高さもトップクラスである。レディオヘッドの5人のメンバーは全員がこの名門校の出身で、在学中に出会ってバンドを結成している。ちなみにアビントン・スクールのホームページを覗いてみると、20世紀の主な卒業生(Selected alumni born in the 20th century)として『オール・メンバーズ・オブ・レディオヘッド』と記され、メンバー全員の名前が掲載されている。コリン・グリーンウッドは、アビンドン卒業後、ハーバード、スタンフォード、オックスフォードなどと並ぶ世界屈指の名門、ケンブリッジ大学に進み卒業している。他のメンバーもエド・オブライエンはマンチェスター大学卒、トム・ヨークとジョニー・グリーンウッドはエクセター大学卒と、レディオヘッドのメンバーはインテリ揃いである。

 

美しい芝生に覆われた広大な校庭、歴史を感じさせる威風堂々とした煉瓦造りの校舎。アビンドン・スクール(写真上)はどこから見ても由緒正しい英国の学校である。レディオヘッドの中心人物であるトム・ヨークは、アビンドン・スクール在学中からすでに厭世的な世界観を内面に抱いた若者で、彼の左瞼のハンディがその要因のひとつとなったようだ。「生まれつき僕の瞼は閉じたままで、生後間もなくから6歳までの間に大手術を6回受けた。そして最後の手術は失敗で僕の目は半分見えなくなってしまった」。そのため眼帯を常時つける必要があり、そのストレスは相当なものだったという。そんなトムのアビンドン・スクールでの鬱屈した日々を救ってくれたのが音楽だった。トム自身は「当時の僕は嫌われ者だった」と語っているが、アビンドン時代の親友だったドラマーのフィル・セルウェイはこう話す。「トムはすごく目立っていたし、すでに歌っている姿からはオーラのようなものを感じたね」。

 

当時、パンクバンドに在籍していたトム・ヨークは自らのバンドを結成するために脱退する。そしてジョニー・グリーンウッド、エド・オブライエン、コリン・グリーンウッド、フィル・セルウェイの5人でバンドを結成する。バンド名は”オン・ア・フライデイ”、後のレディオヘッドである。メンバーが練習に集まるのが、いつも暇つぶしが必要な金曜日の午後だったのでこの名前になったという。オン・ア・フライデイはリハーサルを重ねてデモテープを録音し、1987年にファーストギグに臨む。その記念すべき場所が「ザ・ジェリコ・タバーン」(写真上)である。観客はわずか6人で、ホーン・セクションを従えて臨んだライブ(写真上)だったが、地元での反応も極めてネガティブなものだった。その後もジェリコをホームグラウンドにライブ活動を続け、その評価は徐々に高まっていく。彼らが『マニック・ヘッジホッグ・デモ』をレコーディングしたコートヤード・スタジオ(写真下)のオーナーだったクリス・ハッフォードはこのデモテープに興味を持った。そして1991年8月8日の夜、そして彼はオン・ア・フライデイのステージを観るためにビジネスパートナーのブライス・エッジと一緒に「ザ・ジェリコ・タバーン」を訪れた。数年後にレディオヘッドをスターダムに導くコンビである。

The Jericho Tavern:56 Walton St, Oxford OX2 6AE
www.thejerichooxford.co.uk

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桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。