ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン 世界の音楽聖地を歩く 第18回

コラム | 2016.10.28 17:00

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

テネシー州の州都ナッシュビル。通称ミュージック・シティとも呼ばれ、街中に音楽ゆかりの地が点在している。1925年11月からナッシュビルのラジオ局WSMで放送が開始されたカントリー・ミュージックのライブ放送「グランド・オール・オプリ」の大成功を皮切りに、この街はカントリー・ミュージックのメッカとして世界的に有名になった。ハンク・ウィリアムズ、カーター・ファミリー、ビル・モンロー、ジョニー・キャッシュ、チェット・アトキンスなどの巨匠から、ドリー・パートン、ガース・ブルックス、ヴィンス・ギル、ディキシー・チックスなど、コンテンポラリーなカントリーのミューシャンまで数多く登場した。多くの優れたミュージシャンが集まっていたため、RCAやコロムビアなどの大手レコード会社のレコーディング・スタジオが建設され、ナッシュビルは全米有数の音楽発信地として知られていく。
先日、ノーベル文学賞受賞で話題になったボブ・ディランもレコーディングでナッシュビルを訪れ、名盤『ブロンド・オン・ブロンド』をはじめ数作のアルバムを残している。今年、ミュージック・シティ・ナッシュビルの象徴でもあるカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム博物館で興味深い展示が行われている。『ディラン+キャッシュ / ニューヨーク・ミーツ・ナッシュビル』と題されたこの展示には、1969年にリリースされたボブ・ディランのアルバム『ナッシュビル・スカイライン』をテーマに、ディランとゲスト参加したジョニー・キャッシュの興味深いメモラビリアが並べられている。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

1966年から67年にかけて、ディランは「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」という、音楽史上に残る革新的かつ強烈なアルバムをたて続けにリリースした。『ライク・ア・ローリングストーン』や『雨の日の女』『ミスター・タンブリンマン』など、彼の代表作の多くがこの3枚のアルバムに収録されているのだ。アコースティック・ギターを抱えてプロテストソングを渋い声で歌っていたディランは、エレクトリック・ギターをかき鳴らし尖った声で叫ぶように歌う、ラジカルに時代を疾走するロックンローラーに姿を変えたのである。当然、かつてのディラン・ファンからは過激なバッシングを受けたが、同時に新たなファンを多く獲得し、アルバムのセールスも上々だった。
ところがである、常に感度抜群で時代の流れに敏感な反応を見せていた尖ったディランが、わずか2年後にリリースされた「ナッシュビル・スカイライン」では、スムーズなカントリー・サウンドに乗った甘い声で ”愛しかない、愛がすべてだ” とか ”カントリーパイが大好きなんだ、ディナーに呼んでね、ハニー” などと歌っているのだ。しかもいつも鋭い眼光の表情でアルバム・ジャケットに写っていたディランが、このアルバムには青空の下のニッコリ笑顔で登場している。現在まで長いキャリアを誇るディランだが、笑顔の写真がジャケットを飾ったのは後にも先にも「ナッシュビル・スカイライン」だけである。
しかし考えてみると、ビートルズ登場後の1960年代中期、ディランは先鋭化したロック・シーンのトップを走りながら気づかないうちに神経を消耗させ、精神的なプレッシャーも厳しかったはずだ。そして『ブロンド・オン・ブロンド』のツアー終了後、休暇中のウッドストックでバイク事故に遭い、療養を兼ねて家族との隠遁生活に入るのだ。1966年のウッドストック。豊かな自然環境の中で、俗世を離れ愛する妻と暮らし、そして長男が誕生し、ディランの中の尖った部分は徐々に丸みを帯びていったはずだ。この穏やかな隠遁生活を経て、ディランのフォーク回帰を思わせるアコースティックなサウンドの「ジョン・ウェズリー・ハーディング」、そしてカントリー・タッチの「ナッシュビル・スカイライン」と続くのである。
1968年の暮れ、穏やかな生活を取り戻したディランは、4曲の新曲を携えてナッシュビルに飛んだ。お気に入りのコンムビア・スタジオAに入り、優れたセッション・ミュージシャン・チーム、ナッシュビル・キャッツとのレコーディングをスタートさせた。そこに訪ねてきたのがジョニー・キャッシュである。ディランは高校時代(ミネソタ州ヒビング)の恋人エコ・ヘルストロムを歌った『ガール・フロム・ザ・ノース・カントリー』をキャッシュとデュエットでレコーディングする。出来栄えは素晴らしかった。ディランはスタジオ・セッションを続けながら、宿泊していたホテルの部屋などで曲を書き足し、数日でアルバムを完成させたのだ。今改めて「ナッシュビル・スカイライン」を聴くと、名曲揃いの素晴らしいアルバムである。
ロックが過激なカルチュアだった時代にセミリタイヤしたディラン。生き急いでいた彼はバイク事故というアクシデントで立ち止まり、穏やかな生活の素晴らしさを再発見した。そして発表した「ナッシュビル・スカイライン」だが、これがまた結果として時代を先取りすることになったのだ。1970年代に入ると間もなく、フリーキーでサイケデリックなムーブメントは色褪せていき、若者たちは”バック・トゥ・ザ・カントリー”を合言葉にするようになる。そしてこのアルバムはカントリー・ロックの先駆けとして受け入れられ、多くのフォロワーを生むことになったのだ。 この時代のディランの記録が映像と数多くの展示物で楽しめるのが、カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム博物館の『ディラン+キャッシュ / ニューヨーク・ミーツ・ナッシュビル』である。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

今年の『第58回グラミー賞』で、「年間最優秀アルバム」「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム」「最優秀ミュージック・ビデオ」を獲得したテイラー・スウィフトも、ナッシュビルから世界に羽ばたいたミュージシャンである。彼女は2013年10月12日、ここカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム博物館内に「テイラー・スウィフト・エデュケーション・センター」をオープンさせた。教室スペース、楽器ルーム、展示スペースの3つのセクションで構成されている。開設に際して彼女は400万ドルを寄付し、これは同博物館始まって以来、アーティストによる最高額の寄付金である。基本的にはシンガーソングライターの養成を目的にしており、テイラー・ツウィフト自身もカリキュラムに関わっていて、彼女が参加する学生とのQ&Aセッションやソングライティングのレクチュアなどを柱に、興味深いプログラムが用意されている。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

2013年5月1日にオープンした「ジョニー・キャッシュ博物館」もナッシュビルの人気観光スポットである。数度の逮捕歴を持ち、長年ドラッグ中毒で苦しんできたキャッシュの人生はまさに波乱万丈だったが、ミュージシャンとしてのキャリアはアメリカン・ミュージックの歴史に残る素晴らしいものだった。ポール マッカートニーをはじめとし、ボブ ディラン、リトル リチャード、U2、カート コバーンなど多くのロック・ミュージシャンたちからリスペクトされ、キャッシュの交友関係は多岐に渡った。1970年代の人気番組「刑事コロンボ」にも妻殺しのカントリー・シンガー、トミー・ブラウン役で出演し、部分的にキャッシュ自身の経歴と重なる物語は大きな反響を呼んだ。博物館内には彼がもっとも大切にしていた特注の黒色のマーティン・ギター(これも「刑事コロンボ」に登場している)から歴代の愛器、またメン・イン・ブラックと呼ばれたキャッシュならではのコスチューム、愛用していたライカのカメラなど、多くのメモラビリアが展示されている。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ジョニー・キャッシュのみならず、ミュージック・シティ・ナッシュビルを世界にアピールしたのが、1969年6月から1971年3月まで、米ABCネットワークで58回のシリーズとして放送された「ジョニー・キャッシュ・ショー」である。この収録が行われたのがダウンタウンの中心に建つ1892年建造のライマン・シアターである。番組には第1回放送のゲストだったボブ・ディランとジョニ・ミッチェルに続き、リンダ・ロンシュタット、グレン・キャンベル、ケニー・ロジャース、ロイ・オービソン、レイ・チャールズ、そしてデレク&ドミノス時代のエリック・クラプトンなど、世界のトップスターたちが数多く出演した。
蒸気船の船長でいくつかのバーを経営していたナッシュビルの実業家、トーマス・ライマン(1843年 – 1904年)によって建てられ、1943年から1974年までは「グランド・オール・オプリ」の公開生放送にも使用された。また映画のロケ地としても重宝され、1979年のジョン・カーペンター監督が制作したエルヴィス・プレスリーの伝記映画「ザ・シンガー」、1980年のロレッタ・リンの半生を描き、シシー・スペイセクがアカデミー主演女優賞を獲得した「歌え!ロレッタ愛のために」、1982年のクリント・イーストウッドの「センチメンタル・アドベンチャー」、1985年のパッツィー・クラインの半生を描いた「スイート・ドリームス」など様々な映画の舞台となった。ウッディな2階建てのシアターの内装は美しく、2000人近くを収容できる規模とは思えないほどステージと客席の距離感がなく、どこの席からもステージを身近に感じることができる。ライマン・シアターは国の歴史的建造物に指定されている。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ナッシュビル・ダウンタウンの夜はまさに音楽一色だ。目貫通りであるブロードウェイと2ndから7thアベニューの間が賑わいの中心で、カントリーからロックンロールまでたっぷりとライブ演奏が満喫できる。通りを歩くと店の前からバンドのサウンドが聞こえてくるので、気に入ったクラブに入るといいだろう。ナッシュビル・ダウンタウンの南西側には”ミュージック・ロウ”と呼ばれるエリアがあり、ここには音楽産業に関連した多くの企業が集まっている。エルヴィス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』『ハウンド・ドッグ』など、多くのヒット曲がレコーディングされた有名な「RCAスタジオB」もここにあり、連日多くの旅行者が訪れる。このスタジオの運営を任されたのがギタリストのチェット・アトキンスで、エルヴィスはじめ多くのスターたちのレコーディングに参加し、ミュージシャンとしての名声を確立したスタジオである。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ブルーバード・カフェはシンガーソングライターの登竜門・聖地と言われている有名なライブハウスで、夕方のオープン前になると店の前に長蛇の列ができる。『ナッシュビル』というカントリー歌手を題材にしたTVドラマがあり、このブルーバード・カフェが舞台となっている。このわずか90席ほどの小さなライブハウスを有名にしたのは、何と言ってもテイラー・スウィフトである。数多くのソングライターを輩出し、ガース・ブルックスというカントリー・ミュージック界のスーパースターを送り出したブルーバード・カフェは、15歳のテイラー・スウィフトの飛躍の原点となった。2005年、ブルーバード・カフェのショーケースで歌っていたテイラーに注目したのは、ドリームワークス・レコードの重役だったスコット・ボーケタである。当時彼は自分のレコード・レーベル、ビッグ・マシン・レコードの準備中で、すぐにテイラーを最初のアーティストとして契約を交わした。そして翌2006年にリリースされたアルバム『テイラー・スウィフト』は見事ビルボードのカントリー・アルバム部門で1位を獲得し、その後の快進撃がスタートしたのである。現在もブルーバード・カフェには明日のテイラーを夢見る若いシンガーソングライターたちが出演し、毎晩超満員のショーケースが開催されている。

ボブ・ディラン+ジョニー・キャッシュ=ナッシュビル・スカイライン

ナッシュビルにはミネアポリスに直行便を就航させているデルタ航空が便利である。10月30日には羽田を昼間の時間帯に出発するミネアポリス便がスタートする。ミネアポリス/セント・ポール国際空港は、デルタ航空の米中西部のハブ空港として、ナッシュビルなど南部の各都市をはじめ、東海岸や南部の都市を結ぶ交通の要所となっている。羽田-ミネアポリス便を利用すると、ミネアポリスから先、北米110都市に乗り継ぎが可能である。ナッシュビルでカントリー・ミュージックの真髄を楽しみ、メンフィスではエルヴィス・プレスリーのグレイスランドやサン・レコードなどのロックンロールゆかりの地を訪ねる。そんな旅もスムーズに実現可能である。

■ボブ・ディラン&ジョニー・キャッシュ「ワン・トゥ・メニー・モーニング」

関連リンク

■デルタ航空機内誌SKYウェブサイト
http://www.deltasky.jp/

■カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム博物館
http://countrymusichalloffame.org

■ジョニー・キャッシュ博物館
http://www.johnnycashmuseum.com

■ブルーバード・カフェ
http://bluebirdcafe.com

■デルタ航空機内誌 旅ブログ
http://deltaskyinfo.jp

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。