結成から20年を経ても色褪せることのないZIGZOの世界 [後編]高野 哲、RYO

インタビュー | 2019.11.29 18:00

僅か3年弱で活動に終止符を打ち、10年を経て復活し、多数のリスナーを魅了しているZIGZO。それは、運や偶然などによるものではない。前編ではリズム隊のDEN(Ba)とSAKURA(Dr)によるインタビューをお届けしたが[DEN(Ba)とSAKURA(Dr)が語る。空白期間を経て、より深化したZIGZOという個性]、続く本記事では高野 哲(Vo&Gu)とRYO(Gu)を直撃。ふたりの言葉からはZIGZOの音楽やバンドに対する真摯な姿勢が伝わってきた。

解散した後も毎年RYO君プロデュースで、お花見をしていたんです(笑)(高野)

──ZIGZOは1999年から2001年にかけて活動した後に解散しますが、2012年に再結成を果たし、今年結成20周年を迎えました。まずは、再始動に至った流れなどを、あらためて話していただけますか。
RYO(Gu)再結成に至るまでは、実は結構時間がかかったんです。ZIGZOが解散してから5年、6年と時間が過ぎていったころには、そろそろもう一度やるのも“あり”じゃないかなという空気になっていたんです。ずっと、メンバーみんなで年に1回は顔を合わせていたし。
高野 哲(Vo&Gu)毎年RYO君のプロデュースで、お花見をしていたんです。『オリジン弁当』とかのデカい折を、RYO君が用意してくれるという(笑)。RYO君とDENさんはtest-No.をやっているから何度かライブを観にいったし、SAKURAさんがLion Headsというソロプロジェクトをやった時に鍵盤をトオルちゃん(吉田トオル)が弾いていて、2人と同時に会えるから観にいったり。そんなふうに、交流はあったんですよ。
RYO俺とDENがバンドのプロデュースをする時に鍵盤が必要だからといって吉田トオルを呼んだり、ドラムのことでわからないことがあるとSAKURAに電話して聞いたりしていて。だから、自然と流れができたのかなという気がしますね。4人の気持ちが揃うのかどうかというところでみんな不安はあったと思うけど、それをどうやって解消したかというと、居酒屋に集まって酒を酌み交わしながら話をして会話がなり立つか、なり立たないか様子を見たという(笑)。それが、一番大事なところだから。それを1回で終わらせるんじゃなくて、月1くらいで会うようになったんです。
高野そういう中で、2010年に高円寺の『ShowBoat』でSAKURAさんとRYO君、DENさんが一緒にライブをしたことがあって、俺とトオルちゃんで遊びにいって。すごく楽しそうだなと思って観ていたら、トオルちゃんが“あんた、ここで歌ってたんやで”と言ったんですよ。その瞬間は“そうかぁ…”という軽いノスタルジーくらいの感じだったけど、打ち上げで俺が酔っぱらって“1回でいいから、ちょっとZIGZOやろうか”と言ったんです。たぶん俺がやると言いださないとダメなやつなんだろうなと思っていたから(笑)。一度解散したバンドは、ボーカルがやると言わないとやらないみたいなところがあるじゃないですか。ロックバンドはボーカルが最終的に出口にならないといけないというところで、責任を背負っているから。それをうちのメンバーもわかっているから、俺が責任を取ると言わないと、“もう1度”はない。だから、俺がやろうといえば1回くらい同窓会ライブみたいなことができると思って、口に出したんです。
RYOZIGZOが解散してからの10年間は、それぞれがいろんな活動をしていて、いろんなものを創って成長したんですよ。プレイヤーとしてそれを見せ合いたいというのもあって、ZIGZOをやりたいという気持ちがあった。だから、哲が口火を切ってやろうという流れを作ってくれた時は、すごく気持ちがあがりました。
高野俺が“来年で解散して10年だし、やろうよ。1回だけでいいからさ。自分達でライブハウスをブッキングすればいいじゃん”みたいな感じで言ったら、みんなが“やろう、やろう!”と盛りあがったんですよ。そうしたらRYO君が一言、“哲、来年は9年目やで”と(笑)。それで、だったら再来年に解散10周年のライブをする方向で話をしようかということで、その日は終わった。そうしたらSAKURAさんに火が点いて、マネージャーをやっている友達のK君とか、仲間を集めてきて、さっき話した月1の飲み会で気持ちをすり合わせるようになったんです。そうやって不安を取り除くと同時に、人が集まりだしてくれたので、これはちょっと真面目にやったほうがいいのかという雰囲気になっていったんだよね?
RYOそう。みんなで話していく中で、10年前にできなかったことができるかもしれないということを感じて、すごくワクワクしたのを覚えている。それが再結成に向けた原動力のひとつになったというのはありましたね。
高野今の自分達が新しいものを創ることは可能かどうかというのは、俺の中でも大きなことだった。解散したのは理由があるから、そこも赤裸々に話し合って、それでもできるのかという話もしたし。そういう場を居酒屋で月1で設けていて2011年が開けて、1月、2月も集まって。で、3月11日に東日本大震災が起こったんですよ。それも、4人の中で大きな出来事だった。同窓会感覚の遊びでZIGZOをやるという状況じゃないという話になったんです。メンバーそれぞれ現地の人と交流があったし、RYO君とDENさんは阪神淡路大震災も経験しているから、ZIGZOをやるとしたら、おちゃらけていたらダメな時期だろうと。被災しなかった地域の人達に対しても、ちゃんと真面目に音楽に取り組んでいる姿を見せるのでなければ、やるべきじゃないというふうにメンバーの気持ちがまとまった。“3.11”を経て、今に至っている部分は大きいですね。ZIGZOを、より真剣にやろうという気持ちになったから。
──東日本大震災を経験して、音楽に対する意識が変わったというミュージシャンの方は多いですよね。では、久しぶりに4人で音を合わせた時は、すぐにZIGZOに戻れましたか?
RYOそれが、すごく楽しい瞬間だったんです。みんなが当時ZIGZOで出していた音に、すごく自信を感じられて。その自信がこの4人で音を出したいというメンバーの気持ちを高めて、すごく楽しかった。音を出して全然ダメだと思ったら、その時点で再結成という話はなくなっていただろうから。
高野そうだね。再結成した時は、10年かけて過去のものに自信をつけたという感覚があった。たとえば、RYO君と俺でギターソロをまわすと10分経ったら弾けるフレーズが尽きてしまうくらいの引出しの少なさは相変わらずだったけど(笑)。それぞれのプレイがより説得力を増していたんですよ。音が強くなったことを感じました。

すでにあるものを模倣するような曲作りをするならZIGZOである必要はない(RYO)

──ZIGZOがさらなるパワーアップを果たしたことは、再結成後のライブを観たり、音源を聴くとわかります。それに、もう1度ZIGZOをやるからには、新しいこともやりたいと思ったのはさすがです。
高野再結成して恒久的に続けていくとなると、大事なのは曲作りだと思ったんです。再結成バンドが解散するというのは詐欺っぽくて、嫌じゃないですか(笑)。で、ZIGZOを再始動させて、新しいアルバムを作るとなった時に俺は心がけたことがあって。そもそも最初は、俺はもう曲は作らないと宣言していたんです。
──えっ、なぜでしょう?
高野一番最初の感じに戻りたかったから。みんなでアコギを持って適当に弾いて、“今のいいんじゃない?”というような曲作りをしたいと思ったんです。ZIGZOのシングル曲になった曲とかは大体俺が元ネタを作って、こういうメロディーで、こういうテンポ感でいきたいと伝えて、みんなに肉付けしてもらうというアレンジの仕方だったんですよ。そういうやり方よりも、もっと何もないところから4人でやっていきたかった。そういう作り方をしても俺がメロディーと言葉を乗せることになるから、さっき話したボーカルとしての責任は背負えるというのがあったし。それで、俺は曲は作らないという言い方をしたらスタッフにものすごく怒られて“いやいや、そうじゃない…”みたいな(笑)。なにもない状態で4人でスタジオに入って作っていったら、どんなものができるかというやり方をしたいなと思ったんです。再結成してから作った『THE BATTLE OF LOVE』(2012年10月10日発表アルバム)とかは、わりとそういう感じだったよね?
RYOうん。
高野RYO君に“ガァーッ”とギターを弾いてもらって“それいいね! それをもうちょっとこうしたらメロディー乗るんじゃないかな。あっ、乗るね”みたいな。それで、DENさんが“それ、コードどうなってるの?”と言ってきたりして、“サビを思いついた!”といって1時間後には1曲できるみたいなことで、あのアルバムはできた。ZIGZOというバンドは、そうやって4人で何もないところから音楽を創っていく仲間であり、それがバンドであって、今はそれを楽しんでいます。
RYO1個のフレーズが出て、そこから引き延ばしていくというのが本当に楽しいんですよ。たとえば、ポロッと出てきたギターフレーズがあって、これを元にしたらカッコ良い曲になるんじゃないか、それからどういう方向性でいくかをみんなで決めて、音を出して…という音による会話と、言葉による会話で曲を形にしていく感じがZIGZOらしいなと思う。それが楽しいし、この4人じゃないと、こういうものにはならないんだろうなと感じられるのもいいなと思っています。
──メンバー全員の血が混ざり合って曲ができるというのは、バンドの理想形と言えますね。それに、その時々の流行りを追わずに曲作りをすることで、ZIGZOの楽曲は時を経ても色褪せない独自の魅力を湛えています。
高野独創的に聴こえるのは、リズム隊がデカいんじゃないかな。あの2人のプレイは普通っぽく聴こえけど、実は全然普通じゃないんですよ。俺とRYO君がやっていることはオーソドックスだから。
RYOそう、普通(笑)。
──いやいや、メロディーにしても、歌にしても、ギターリフにしても個性的ですし、洗練されています。
高野どうなんでしょうね。ただ、そこでZIGZOがすごいなと思うのが、たとえば今はシティポップが流行っているじゃないですか。もし、誰かにシティポップを作れと言われたら、書けますから。
RYOうん、書けるし、演奏できる。でも、これを曲にしようよと判断する瞬間が一番ZIGZOだなと思うから。すでにあるものを模倣するような曲の作り方をするのであれば、ZIGZOである必要はない。だから、自ずと他にないものにはなりますよね。
──他にないもので、クオリティーも高いというのは本当に魅力的です。続いて、ZIGZOの20周年を記念して今年の7月1日にリリースされた『ZIGZO 20th Anniversary Book&CD「Zippy Gappy Zombies」』について話しましょう。
RYO20周年ということで、なにか記念になる音源を出したいという思いがあったんですよ。で、トークイベントとかでお客さんとコミュニケーションを取っていく中で、こういうことをしたら楽しいんじゃないかという提案があったり、ファンの声がきっかけになって思いついたりすることがあって。そういう中から、リテイク・ベスト盤というアイディアが出てきたんです。
高野“ファン投票リテイク・ベスト盤”ですよね。そういうものがあることを始めて知ったのは、アンスラックスだった。そのCDは曲によってすごく好きなヤツと、嫌いなヤツがあるんですよ。これは昔のほうが良かったなとか、この曲はすごくいい、このギターがフィーチュアリングされているのは正解! さすがに、スコット・イアンはわかっているなというようなものが混在している。それで、リテイク・アルバムというのは面白いなと思ってnilでやったことがあって、こういうものは望まれるんじゃないかなと感じたんです。それで、ZIGZOでもやろうということになりました。
RYO投票も面白かったよね?
高野うん(笑)。投票期間を3カ月くらいにしたから、その間にもライブがあるわけですよ。投票結果をみんなジワジワ知りながら、ライブでそれをネタにできたりして。“今日これから演奏する「ハンバグ・ソング」は、現状最下位です。皆さんの力で、このかわいそうな曲を押し上げましょう!”みたいな(笑)。そうしたら、5位くらい上がったという(笑)。そうやって遊ぶのも、すごく楽しかった。自分達だけで一方的に作るんじゃなくて、お客さんと一緒に作っていく感覚があったから。最近のライブでずっと言っていることだけど、ZIGZOというバンドは俺らだけのものではなくて、俺らとお客さんみんなのものなんですよ。そういう思いが浸透することで、今は“このバンドをみんなでもっと盛りあげて、愛していこうぜ!”という空気感のライブになっている。そういう中で、お客さんからもらったアイディアとか、スタッフから出たアイディアとかを全部含めて形にしたのが『ZIGZO 20th Anniversary Book&CD「Zippy Gappy Zombies」』です。

Zippy Gappy Zombies / ZIGZO

RYOそう。CDはもちろん、書籍も内容の濃いものになっているし。ZIGZOを知っていて好きだと思う人は、ぜひ手に取ってほしいです。

公演情報

DISK GARAGE公演

ZIGZO 20TH ANNIVERSARY TOUR 2019

2019年11月30日(土) 群馬・高崎 club FLEEZ
2019年12月1日(日) 茨城・水戸 LIGHT HOUSE
2020年1月19日(日) 東京・マイナビBLITZ赤坂

チケット一般発売日:
[群馬・茨城公演] 2019年7月13日(土)
[東京公演] 2019年10月19日(土)

  • 取材・文

    村上孝之

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