あっちゃんのピンチを乗り越え、ニューロティカ、4年ぶりのアルバムが完成!東名阪ツアー目前の4人に話を聞いた

インタビュー | 2023.05.01 18:00

──ニューアルバム『ピエロイズム』を完成したニューロティカ。19年リリース『LOVE☆SONG~唄を愛したピエロのロックスター人生~』以来4年ぶり、20枚目のスタジオアルバムですが。このタイミングでアルバムを出そうという話になったキッカケは?
カタルずっと出したかったから、もう遅いくらいだよね?
ナボ武道館が終わって、野音が終わって。「次のニュースがねぇじゃん」って話になった時、「じゃあ、アルバムかな?」って。「そろそろアルバム出せよ」って、周りからも言われてたしね。
RYOでも逆にいうと、武道館や野音に向かってる最中に、アルバム作りをしてたら、とてもじゃないけどやれなかったと思って。そのタイミングでやってたら、中途半端な作品になってたと思います。
──野音が終わって、「この後どうする?」って話になった時、「40周年までやることがないから、あっちゃんを結婚させよう」とか言ってたくらいで(笑)。ひと区切り付いた感はありましたよね。
ナボそう。それで、いざ、アルバム作ろうって動き出したら、あっちゃんが具合悪くなっちゃって。
──あっちゃんの体調不良については、ライブのMCなどでも触れてますが。このインタビューで、初めて語ってくれるということで。
アツシはい。体調が悪くなって病院に行った結果、糖尿病でした。一時期は検査結果を見て、修豚(30%LESS FAT、ex.NEW ROTEeKA、糖尿病患者)も驚くくらい数値が悪かったんだけど。病院に行って、薬を飲みはじめて。生活習慣を変えてお酒も控えたら以前よりも元気で体調も良いです。
ナボあっちゃんが体調悪くなった時、連絡が全く取れなくなって。これはヤバイと思って、俺が八王子にいるスタッフとあっちゃんの友達に連絡して。「ちょっと具合悪そうなんで、家に行って見てきてもらえますか?」って言って、病院に連れてってもらったの。
アツシそう。調子悪くて喋るのも嫌だから、携帯の電源を切ってて。家で窓開けて寝てたら、「あっちゃん! あっちゃん!」って同級生の声が聞こえて。「俺は生きてるぜ!」ってすぐに出たかったんだけど、体が動かなくてスローモーションになっちゃったの。中島みゆきの「世情」が流れてたもん(笑)。
ナボだから様子を見に行った友達は、「ダメだ、返事がない。あっちゃん死んでるんだ」と思ったって(笑)。
──わはは。“あっちゃん死亡説”まで出てたんですね(笑)。
ナボあと、それがあったからあっちゃんが体調悪くなった時に面倒見てくれる、彼女もいないこともバレちゃった(笑)。
──それがいつの話ですか?
アツシ3月末かな。
ナボその数日前にもライブで、「息が出来ない」とか言ってたから、「病院行きなさい」って言ったのに、行かないんだもん。
アツシあの時がピークでしたね。「ま、寝れば治るか」と思ってたんだよね、昭和の男だから(笑)。
──レコーディングも始まって、いざこれからって時ですよね?
カタルそう。あっちゃんの歌も何も録ってないし、音合わせや歌の確認も何も出来てないから。「これはヤバいだろ?」と思って。
ナボあっちゃんがどんな歌を歌うか分からないまま、ドラムを録り始めたからね。「あっちゃんはどんな歌を歌うのか、知らないまま死んじゃうのかなぁ?」と思ったもん(笑)。
カタルアルバム発売を延期しようか? まで考えたけど、もうレコーディング入っちゃってたから。そのまま進めてたら、あっちゃんの体調がだんだん良くなってきて、ようやく希望が見えてきたの。
RYO俺は、「CDは延ばせたとしても、クアトロツアーは中止に出来ないから。大阪はGEN(GELUGUGU)さんにピエロのメイクをしてもらって」とか、先のことを考えてました。
アツシ俺の代わりはGENちゃんか北島(康雄:四星球)くんがいいな(笑)。
──あはは。あっちゃんは病床でどんなことを考えてたんですか?
アツシ大したことないと思って寝てたんだけど、検査して数値を見たら「えーっ!?」と思って、逆に心配になっちゃって。「糖尿病は症状が出ない病気ですから」って先生に言われて。2~3件病院を変えて、自分に合った病院を見つけて通院してるところです。これを読んでる人も体調悪くなったら、早めに精密検査して下さい!
──実体験からのアドバイスだから、説得力ありますね(笑)。
RYOでも俺、あっちゃんがレコーディングに参加出来るようになって。歌詞が乗った状態で歌を聴いた時、俺は「あっちゃん、ちょっと神がかってるな。これ、最後の作品になるんじゃないかな?」と思ったんです。デヴィッド・ボウイの最期の作品みたいな。
ナボ 『Blackstar』だ。帯に“遺作”って書いちゃおうか?(笑)。
──わははは! それが遺作にならなかったら、次のアルバムには、“今度こそ遺作!”って書けば良いだけですからね。
アツシ解散ビジネスじゃなくて、遺作ビジネスだ(笑)。
──“ついに遺作シリーズも第5弾”とかいって、「全然、元気じゃねぇか!」っていう(笑)。
アツシそんな不謹慎なバンドいないよね、新しい!(笑)。
──体調不良で自分自身と向き合う時間が多かったからか、アルバムの新曲たちはいつも通りの熱いメッセージもありながら、「井上篤物語」的な要素が強いなと思いました。
カタルそうだね、あっちゃんがそろそろ終活に入ってるのかも。
──「背中のナンバー7」で、野球少年だった時代から振り返っちゃってますからね。
ナボ結構、自分勝手に歌ってるよね。<明学中学野球部>とか、関係ねぇじゃん!って。誰も共感出来ない歌詞(笑)。
アツシ一週間寝てたら、色んなことが走馬灯のように蘇ったんだよ(笑)。出てきたんだよね、その風景が。
──それで歌詞を書いたんですか?
アツシそう。
──じゃあもしかして、藤屋のことを歌った「藤屋ミュージアム」は、布団の中から見えた風景を書いてたり?
アツシそうそう、その通り(笑)。あと、中学がプロテスタントで賛美歌が拠り所だったから、「賛美歌パンク」を書いて。
──あははは、謎が解けました! 今作の歌詞は自分自身と向き合うというか、布団の中で生まれた歌詞が多いから、自分を歌った曲が多かったんですね(笑)。ただ、<恋して生きたい>と歌う、「夏・心・39才」はありますけど、切ないラブソングが無いですよね?
カタル心配してくれる彼女がいないからね、しょうがない(笑)。
アツシ女の子が誰もお見舞いに来ないからさ、頭きちゃって「ニンニクマン」になっちゃった(笑)。
──切ないラブソングが無いことが、いまのリアルなんだ(笑)。
ナボでも、すごく良いアルバムになったよね。ブックレットを作るのに歌詞のチェックをしながら、1曲ずつ改めて聴いたんだけど、素晴らしいアルバムになったなって思ったよ。俺は「空っ風」と「賛美歌パンク」と「ニンニクマン」で、初めて曲を提供したんだけど。ガレージバンドで作って渡して、RYOくんにコードを付けてもらって。みんな苦労したみたいだよ(笑)。
──え、「ニンニクマン」はナボさんの曲だったんですか!? 自分で曲を作ろうと思ったのは、なにかキッカケがあったんですか?
ナボアルバムを作る前にカタルが、「みんな1曲ずつ作って、自分で歌うのもいいんじゃない?」って言って、「じゃあ、俺も作るわ」ってなったのがキッカケ。俺は最初から自分で歌うつもりはなくて、あっちゃんに歌ってもらおうと思って作ったんだけど。俺、死ぬ前にソロアルバム出したいなと思ってて、メロディとかも録音してたから、そっから持ってきたりして。
──「賛美歌パンク」はロティカの曲には異質というか、通して聴いた時に引っかかりのある曲だなと思いました。
カタルなにせ、賛美歌だからね(笑)。
ナボあっちゃんのメモに、“賛美歌”ってワードがあって、それが俺の貯めてたメロディに合うなと思って作ったの。あっちゃんの歌詞が俺のメロディに合うかな? と思って、色々試したんですよ。
──それもロティカの曲作りでは、初めてのやり方ですよね?
ナボそうだね。俺はニューロティカに曲を作ったのは初めてだったから。いや、ちゃんと曲になったのが、生まれて初めてかも。
──みんなで作ろうという話になったということは、今作にはRYOさんの作った曲もあるんですか?
RYOいや、途中でナボさんも歌わないって言ったりしてるから、俺は曲を出しそびれちゃったんです(笑)。
カタルそう。俺は自分が歌おうと思って、「背中のナンバー7」を出したんだけど、あっちゃんが「歌いたい」っていうから、俺の歌もなくなって。それぞれが歌う企画自体が無くなっちゃったの。
──じゃあ、その企画は遺作シリーズ第2弾に持ち越しですね(笑)。全員が曲を作って、全員が歌う企画で『ロティカイズム』だったら、ちょうど良いんじゃないですか?
カタルそうだね、もう次のアルバム出来ちゃった(笑)。

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