(初ツアーは)思い入れがある場所を廻らせていただいて、本当にこのツアーをやってよかった
──昨年の11月から行った東名阪ライブツアー「Bluem」から振り返っていただけますか?
Soalaツアーをさせていただくのも初めてのことだったんですけど、私は愛知県出身で、一度は上京もして活動を始めた東京と現在の活動拠点になる大阪という思い入れがある場所を廻らせていただいて。お客さんの温かさもそれぞれの地で違っていましたし、このツアーを通して、「Soalaのライブを見て、また頑張ろうって思った」というメッセージをたくさんいただいたので、本当にこのツアーをやってよかったなって思いました。
──初日が地元の名古屋でした。
高校生の時に芸能の学校に通っていたんですけど、新入生歓迎会とか、いろんなライブをさせてもらっていたライブハウスだったんです。当時は自分たちの両親や家族ばかりだったんですが、自分が青春を過ごしたライブハウスが私のファンの方たちだけで埋まっていて。温かいSoalaのファンの方々がいてくださったことが嬉しかったですし、あの頃から少しは成長できたんだなって感じることもできた。名古屋を初日で迎えられたことが嬉しかったです。
──その後が東京ですね。ライブでも語っていましたが、東京というのは、Soalaさんにとってどんな場所になっていますか。
いろんなことを経験させてもらった地で、いい経験もさせていただいた場所なんですけども、やっぱり辛いことの方が大きくて。まだ、今でも東京に行くのが怖くなってしまったりするときもあるんですね。昨年、初めて東京でワンマンライブをさせていただくことが決まった時も、当時のことを思い出して、ちょっとプレッシャーを感じたり、今までにわいたことがないような感情になってしまったりして。でも、その中で、今はお客さんが待ってくれてるって状況があって。あの頃の自分に伝えたいなって感慨深くなってしまって、当日は思いがあふれてしまったんですけど、あの地でワンマンライブをやれたことに意味があったなって思いますし、これから控えている東京ワンマンライブも、また新しくスタートできる一歩になるかなと思っています。
──次のライブのタイトルにもかかわりそうなので、もう少し「当時のこと」を聞いてもいいですか?
私は歌手になるために17歳で上京して、20歳になる直前まで東京にいたんですね。Soalaという名前で活動を始めたのも東京だったんですけど、うまくいくことばかりじゃない日々が続き、音楽のために貯めていたお金もすべてなくなってしまって。「私は何のために東京に来たんだろう……」と思ってしまった時期があったんです。母に「20歳になるまでに音楽で食べれなかったら、もう実家に帰っておいで」っていうふうに言われたことがあり。それは母の優しさでもあったんですけど、そこで諦めることなんてできず、19歳の時に大阪に拠点を移して。Soalaとしてまたゼロから再スタートしようと決めて、大阪に行ったんですね。
──最終日がその大阪で、キャリア最大規模となるなんばHatchのステージに立ちました。
最初は楽しみが多かったんですけど、直前になると緊張が勝ってしまってましたね。でも、今までに組んだことがないようなセットを組んでいただけて、過去最大規模のお客さんの前でパフォーマンスをさせていただいて。大きい会場になればなるほど、できることが増えてきていて。例えば、初めて紗幕を使って、カッコよく登場する、など。今までは規模的に難しかったことも多かったんですけど、なんばHatchでは沢山の支えてくださる皆さまのおかげでいろんな演出を実現することができたので、私にとってもチームのみんなにとっても思い入れ深いステージになったんじゃないかなって思います。
私の夢は「私の音楽で誰かの心を救いたい」っていうのが一番の芯にある
──ツアーのタイトルが「Bluem」で、大成功に収めたツアーファイナルの5日後に4枚目のEPのタイトル曲となる新曲「Bluem」がリリースされました。
“Bluem”っていう言葉は造語なんですけれども、青いバラをイメージにしていて。<夢が叶う>っていう花言葉を持つ青いバラと、<咲く>っていう意味の“bloom”を掛け合わせて“Bluem”っていう言葉を作ったんですね。私のステージを見て、私の曲を聞いて、自分がやりたいことや好きなことに向かって一歩を踏み出すきっかけになったらいいなと思って。恋愛もそうですし、人生の夢もそう。一歩踏み出すってことは勇気のいることだと思うので、それを後押しできるようなツアー、そして、EPになれるようにという思いを込めてました。
──Soalaさん自身の夢は何ですか?
高校生の時は「大きいステージに立ちたい」や「ドームで歌いたい」と口に出していたんですけども、東京での下積み時代や大阪での路上ライブで、ファンの方がいることが当たり前じゃない状況を経験してきて。その中で、自分の夢ってなんだろう?って考えた時に、私の夢は「私の音楽で誰かの心を救いたい」っていうのが一番の芯にあるなって気づいたんですね。そのことはずっと忘れずにいたい。今いるファンの方々と、これから出会うファンの方々と一緒に笑い合って、一緒に泣いたりできる空間を作りたいなって思ってますし、みんなと共有する空間が一歩ずつ大きい規模になっていったらいいなという思いが今では私の夢となっています。
──「Bluem」でも歌ってますが、みんなの夢を咲かせることが音楽をやる理由になってるんですね。
そうですね、私が音楽に救われた分、今度は私が皆さんを救いたいなっていう思いが一番強いです。
──Soalaさんの音楽に救われた経験も聞いてもいいですか?
こんな金髪で派手な見た目をしているんですが、中学と高校の時に不登校になってしまった経験がありまして。中学校は人間関係ですね。こんなことを気にするの?って思う人もいるかもしれないんですけど、私が勝手に仲間外れになってしまった感覚があって、不登校になってしまって。高校生の時は、芸能の学校に入って、このまま歌手になれるのかとか、いろんなプレッシャーに押しつぶされるものがあって、何ヶ月か学校に行けなくなってしまって、体重も一気に痩せてしまって。当時、私を見た母は「もう無理なんじゃないかな」って諦めそうになっていたらしいんです。でも、その時に支えてくれたのが、大好きだった2人のアーティストさんなんです。
──どなたですか?
母が教えてくれたアーティストさんなんですけど、ロックバンド「おかん」とシンガーソングライターの森源太さんです。
──意外ですね!勝手にR&Bシンガーや歌姫かと想像してました。
私は恋愛ソングのイメージがあると思うんですけど、私が影響を受けたのは、魂を込めて叫んでるようなライブパフォーマンスをする方達なんですよ。学生時代に母が誘ってくれたことがきっかけでライブに行ったんですけども、その時に自然と、泣こうと思ってないのに涙があふれてきて。自分はここにいていいんだなって思える場所が、その方たちのライブだったんです。自分の言葉や思いを肯定してくれているような感じをそのライブで味わえた。その方たちのライブに行ったら、いつでも何も気にせずに涙が流せるし、自然と笑えたんです。私の居場所はちゃんとあるんだなっていうのを認めてくれたんですよね。改めて、私はそういう空間を作りたいんだなってことを再確認ができて、今の自分がいるんだと思ってます。