編集部:梁さん、初めて立ったステージの思い出を教えてください!
梁 邦彦初めてステージに立ったのは高校生の時で、場所は、現在はもうないのですが、東京・荒川区にあった「三ノ輪モンド」というライブハウスでした。当時、キーボードを演奏する人があまり多くない時代だったのですが、シンセサイザーやキーボードがフィーチャーされた音楽が増えてきたこともあり、バンドのキーボードとして参加しました。
──その時はどんな曲をやられたのですか?
はっきり覚えていないのですが、プログレをやるバンドだったので、多分、プログレのカバー曲だったと思います。
──観客がいる前で演奏するのはどんな気分でしたか?緊張しましたか?
僕はもともとクラシックピアノをやっていたので、発表会で人前で演奏した経験はあったんですね。でも、発表会を観ている人の反応と、ライブハウスのお客さんの反応はまったく違うんですよ。発表会でも拍手されるんですが、拍手の温度が違う感じがしました。その時のライブの出来自体がどんなものだったかはわかりませんが、観ていた人が盛り上がるほどのステージをする実力はなかったはずです。多分、知り合いや友人が来ていて、盛り上がってくれたんだと思います。でも、その時の経験があったからこそ、音楽をやりたいという気持ちがより強くなったのかもしれません。
プロとして初めてステージに立ったのは、大学生の時で、シンガーソングライターのコシミハルさんのセッションだったと思います。おそらく、キーボードのメンバーのスケジュールの都合がつかなかったか、なにかの事情でピンチヒッターとして参加して、キーボードを弾いた記憶があります。それがおそらくプロとしてお金を初めてもらった仕事でした。
──大学生で、いきなりプロとして演奏するなんて、すごいですね。
プロではなくて、セミプロですね。当時、僕は医学部に在学していて、まわりで音楽を真剣にやっている人がほとんどいませんでした。みんな、医者を目指しているわけだから、当たり前なんだけど、僕は家庭内の事情があり、他に選択肢がなく、医学部に入ったものの、やはり音楽をやりたいという気持ちを抑えられなかったんですね。それで、機会があれば、あちこちの大学の音楽サークルに出入りして、演奏に参加させてもらうようになりました。
その中にはすでにセミプロとして活動している人もたくさんいたので、「お前、今度、一緒に演奏しにいかないか」と声をかけられる機会も増えてきました。コシミハルさんのライブに参加したのちも、山本達彦さんのツアーに参加したり、NOBODYのコンサートやレコーディングに参加したりするようになりました。そうこうするうちに、「お前、いつ大学を辞めるの?」「早く辞めなよ」と先輩方からさんざん言われて、現在に至るということですね(笑)。
編集部:学生時代のライブ経験が、現在の音楽活動につながっているということですね。プロになる以前の貴重なお話をありがとうございました。