黒沢健一 DI:GA掲載アーカイブ ~Banding Together~ 第2回

スペシャル | 2017.01.23 12:00

黒沢健一

ちょっぴりシャイで、いつもあたたかな柔らかい笑顔で、時に少年のように、そして真摯に、たゆまぬ音楽への愛情を言葉にしてくださった黒沢さん。
DI:GAに遺してくださったそんな宝物のような言葉を、取材をしてくださったライターさんによる新たな寄稿と共にお届けします。
黒沢健一さん、素敵な音楽を、ありがとうございました。

1/23(月)、今日は東京カルチャーカルチャーで行われている献花の会に来ています。
会に来られる方も、残念ながら来られない方も、黒沢さんへの想いが届きますように。
きっと照れくさそうにはにかみながら、お一人お一人の想いを聞いていらっしゃるのではないかと思います。

-ディスクガレージ DI:GA編集部-

インタビュー掲載ページはこちら

黒沢健一 DI:GA 146号(2007年12月) 2007年12月(146号) インタビュー
Welcome Back!フレキシブルに届けられるソロ5年ぶりのPOP SONG。

interview/鈴木りゅうた


2016年末に黒沢さんが脳腫瘍で亡くなったと聞き、本当に驚いた。黒沢さんにインタヴューをさせて頂いたのは2007年の11月。ちょうどインタヴュー前日、慢性的に私を悩ませていた頭痛がただの偏頭痛ではなく脳腫瘍が原因だったことが発覚し、インタヴューの原稿をまとめた後に療養したということがあったからだ。その後、私は回復し今も音楽に関わりながら生活をしている。黒沢さんの訃報を聞いて何か不思議な因縁を感じずにはいられない。
黒沢さんの音楽は私が高校生くらいの頃、L⇔Rの活動をされていた頃に知った。私は北海道の田舎の高校に通っていたのだが、当時クラスのバンド好き女子(当時はそういう女子がいっぱいいた)が聴いていたからだ。黒沢さんにその話をしたら「ずいぶんマニアックな10代ですね(笑)」と謙遜とも分析とも取れる落ち着いた雰囲気の返答に「リラックスした人だなあ」と思ったのを覚えている。
インタヴュー当時は配信がまだまだ普及する前。当然、インタヴューの内容は配信だけでのリリースについてや音楽業界の環境などについていろいろ伺った。まだまだネット環境も今ほど良くはなく、音楽配信自体がハード的に課題の多い時期だったと記憶している。黒沢さんは音楽家としてはやや革新派よりのオタク気質というか、ディテールには徹底的にこだわりつつ、新しい動きにも常に感心を払うというタイプだった。配信でやることのバックグラウンドについてはよく研究されていて、メリットもリスクも的確に把握しつつ、今後の状況を見据えてチャレンジしていこうという姿勢は当時の音楽業界の行く末を考えるうえで多いに勇気づけられた。
楽曲制作はド直球を決めるというよりは少しひねりをきかせてポップ、かつスマートな姿勢が滲んでいた。音楽に対するインテリジェンスは高く、自ら受けた影響についてもとても正直で、インタヴューでビートルズ後期的アプローチを指摘するととても嬉しそうに「気づきましたか?」と饒舌になった。
実は黒沢さんの訃報に触れて当時このインタヴューの編集を担当されたHさんも一昨年に若くして亡くなられたことを思い出さざるをえなかった。今はすっかりジャズ界隈の音楽にドップリであまりポップスの記事を書かなくなった私だが、生前、お二人がご尽力されてきた音楽という創作ともコミュニケーションともつかないものへかける思いをまた改に強くしている。
ご冥福を祈って。

ライター・鈴木りゅうた

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