渋谷公会堂物語 〜渋公には伝説という魔物が棲んでいる〜 序章-後編- 語り手:(株)ディスクガレージ 中西健夫

コラム | 2018.02.07 14:30

提供:渋谷区

序章 〜後編〜
中西健夫(一般社団法人 コンサートプロモーターズ協会会長 / (株)ディスクガレージ 代表取締役社長)

この連載では、1980年代に入るまではいくつかある公共のホールのひとつでしかなかった渋谷公会堂が、数多くの伝説的なライブを生み出し、やがて“ロックの殿堂”とさえ言われるまでになった軌跡とその実相を、様々な立場でそこに関わった人たちの証言を通して浮き彫りにしていく。
中西健夫氏インタビュー、その後編は、渋谷公会堂伝説と渋谷という街の80年代の発展との相互作用、そして新しいレガシー作りのために必要な発想へと話は広がっていった。
⇒前編はこちら
──渋谷公会堂という建物のロケーションも、中西さんにとってはインスパイアされるものがあるそうですね。
行き、駅から上ってくんですよね。上り坂って、たどり着くまでワクワク感が大きいような気がするんです。行きが下り坂だと大変なんですよ。急いで走っちゃうでしょ。渋公は上り坂だから。しかも公園通りって人がすごかったんですよ。そんな早く歩けない。だから渋公に近づくにつれて、高揚感が増していくっていう。絶妙なロケーションであったと僕は思うんですよね。

渋谷公園通り風景 1987年10月17日
提供:渋谷区

──それが80年代だったというのが意味深いなと思うのが、西武セゾングループによって、公園通りが若者の通りになっていく時代と…。
マッチングしたんです。だから、パルコの壁面を、僕らいつもジャックしてました。パルコの壁面に絵を描くんですよね。○○というアーティストはこういうふうに、みたいなことを壁面でプロモーションしてた時代。いわゆるストリート・プロモーションです。よく話すんですけど、BOØWYとか、原宿のお店を回ってカセット渡して、街にBOØWYのステッカー貼って帰るみたいなことをやってたんですよ。「何だよ、このBOØWYって?」っていう。そういう街鳴りするプロモーション。それとはまた別に、渋公っていうのはストリートでファッションとかいろんなものが交差していく、っていう時代かな。
──当時、そうやって伝説のライブを仕掛けてらした時に、渋谷の街がどんどん若者の街になっていって、糸井重里さんや川崎徹さんがいろいろ…。
キャッチコピーの時代。
──そうそう、コピーの時代ですよね。そういう時代感と、コンサートプロモーターとして、いいコンサートを作るということと、その両方を考え合わせたときに“やっぱ渋公だな”みたいな感じもあったんですか?
そうですね。僕は必ずコピーをつけてたんです。何かやるたびに。例えばレベッカだったら、西武球場で追加公演が決まりました、と。「追加公演決定って、ダサいよね」って。で、僕がつけたのは、“ママはそんな急な話は許しません”。これ、めっちゃウケるわけですよ。で、レベッカと中村あゆみが8月31日にライブをやる時には“宿題なんて忘れちゃえ”っていう。
──夏休み最後の日だから。
そういう設定を作っていくということをやってました。思い出に残るライブって、「あれってなんてタイトルだっけ」って今言えます?
──ないですよね。
でしょ。もっと言うと、タイトルつけることによってその1本がすごく大切なものに見えてくる。そういうことを、毎晩飲みながらみんなで話してました。そういうのばっかりですよ。その頃、僕おかしかったですもん、なんか(笑)。タイトル考えないと生きていけないって感じで。
──80年代的な、あるいは渋谷パルコ的な空気も吸いながら、渋谷公会堂は伝説化していったわけですね。
そうですね。渋谷が若者の街になった、80年代。当時バーゲンとかとんでもない列だったじゃないですか。そういうエネルギーが充満してた感じでしたよね。
──それで、さっきのお話のように、渋公のコンサートに行く時にはそのエネルギーが充満してる中を、坂を一生懸命上っていって会場にたどり着くということになるわけですよね。
そこに、年配の人は歩いてないわけじゃないですか。歩いてたのは、ティーンエイジャーとか20代の人ばかり。だから、お互いに触発されるわけですよ。例えば「あの服いいね」って、歩いてるのを見ながら思ったりとか、そういうモチベーションはすごくあったんじゃないですかね。僕らもそうでしたけど。だから音楽とファッションっていうのは切っても切れないものだとやっぱり思いますよね。そこにカルチャーが生まれていくっていう。
──だから、単純にコンサートを組んで、チケットを売って、売り切れたからよかったねという話ではなくて、街鳴りと言われましたけど、街で話題になるとか、音楽に興味ない人も「今日、何やってんの?」って気になるような仕掛けを作るということをすごく意識してたような印象があるんです。コピーをつけるっていうのもそのひとつかもしれないけど。
例えば“ハウンド・ドッグ5DAYS!”とパルコの壁面に書いてあるわけですよ。デッかく。そうすると、「えっ、5日間やるんだ!?」「今日やってる!」「いや、売り切れてるよ」「どうなんだろう、行ってみる?」みたいな話が起こってくるわけですよ、街歩いてる時に。今はネットの世の中になっちゃったから、そういうワクワク感が消えてるけど、自分の足で歩いて目で見たものがすごくリアルに感じられるっていう時代ですよね。
──そういう中西さんの発想と、新宿でもないし目黒でもなくて、渋谷の街の公会堂だったということが相互的に関わってるんですね。
そうですね。渋公に年何十日、下手したら1/3ぐらいいたような時代ですから。渋谷の街は、例えば東急ハンズができただけでもすごいことだったんですよ、当時。こんないろんなものあるんだ、とか。パルコ行って服買って、かっこいいよね、とか。あのエリアだけで、いろんなことが体験できる。
──なるほど。
で、今から考えると、ちょっと下のほうに降りていくと、渋谷って、演劇の人がいっぱい集まるような飯屋とか、かっこいいところがいっぱいあったんですよ。洒落たお店が。そこに、タワーレコードができたじゃないですか。あれもエポックメイキングだったし。音楽とファッションと、食も含めて、ぐわっと凝縮した時代ですよね。

渋谷公園通り風景 1987年10月17日
提供:渋谷区

渋谷公園通り風景 2014年7月30日
提供:渋谷区

  • 兼田達矢

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    兼田達矢

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