黒沢健一 DI:GA掲載アーカイブ ~Banding Together~ 第6回

スペシャル | 2017.02.22 12:00

黒沢健一

ちょっぴりシャイで、いつもあたたかな柔らかい笑顔で、時に少年のように、そして真摯に、たゆまぬ音楽への愛情を言葉にしてくださった黒沢さん。
DI:GAに遺してくださったそんな宝物のような言葉を、取材をして下さったライターさんによる新たな寄稿と共にお届けしています。
今回はインタビューではなく、1997年4月号、DI:GAがモノクロでタブロイド判だった時代に黒沢さんが描いて下さった表紙イラストを再録します。
同年12月、L⇔Rのコラムを書いて下さった、ライター・宮本英夫さんの寄稿と共にお届けします。

-ディスクガレージ DI:GA編集部-

表紙イラスト、コラム掲載ページはこちら

黒沢健一 DI:GA 18号(1997年4月号) DI:GA 18号 1997年4月号表紙イラスト


黒沢健一 DI:GA 26号(1997年12月号) DI:GA 26号 1997年12月号コラム


個人的なことを書いても構わないですよと言われたので、個人的なことを書こうと思う。僕がまあやむを得ずというか成りゆきというか、フリーの音楽ライターというものになってしまったのは1995年の暮れ、30歳の時のことで、細かい状況をばっさり伐り落として言うと、それまではただの音楽ファンで、それからは音楽が仕事になったということになる。実際そこまで厳密には分けられないけれど、1995年以前にただの音楽ファンとして聴いていた音楽と人と、それ以降に取材者として接した音楽と人との間には、心理的な分水嶺のようなものがある。要するに、音楽ファンとして接していた人に、取材者として接すると、理屈抜きで胸がときめく。ああ、この人があの音楽を作ったのかと、ひとり幸せをかみしめる。僕にとって黒沢健一は、そういう人だった。僕は、L⇔Rのファンだった。
僕の家にあるCDラックには、さっき調べたところ、L⇔Rのアルバムが7枚あった。『Lefty in the Right〜左利きの真実』から『Doubt』までで、最初のミニアルバム『L』はないけれど、それは『LOST RARITIES』に丸ごと入っているから、つまりオリジナル・アルバム全部ということになる。大好きな曲はいくつもあって、初期の曲なら「Bye Bye Popsicle -一度だけのNo.1-」や「YOUNGER THAN YESTERDAY」を、今も時折口ずさむ。中期なら「EQUINOX」、そして「HELLO,IT’S ME」。せつなさを通り越して泣きたくなる、はかなく揺れるメロディが大好きだった。「KOCKIN’ON YOUR DOOR」は、狙った感じがしてあまり好きではなかったが、大ヒットしたのは本当に嬉しかった。記憶がはっきりしないが、たぶんL⇔R時代に会ったことはなかったと思う。バンドは1997年に活動を休止し、黒沢健一はソロになった。
ソロ作は『first』と『B』の2枚が手元にあるが、L⇔Rの7枚とは違って“サンプル盤”のシールが貼られているから、おそらくこの時期に僕は取材者としてどこかで彼と会っているはずだが、何を話したかは思い出せない。ただ、どんな質問にも真摯に答える丁寧な口調と、明るくジョークを飛ばしたかと思えば、一瞬のちにじっと考え込んで憂いを帯びた目を伏せる、細やかな感情の起伏の大きさに、少年のようにピュアでナイーブな人だなと思った印象は、今も鮮やかに覚えている。それはまさに、彼の作ってきた音楽のイメージそのままだった。
彼はいなくなったが、音楽ファンとしての僕にとって、黒沢健一は今もヒーローだ。これから毎年暮れ、11月29日のジョージ・ハリスンの命日が過ぎて、12月5日になると、黒沢健一のことを僕はきっと思い出すだろう。12月8日の、ジョン・レノンの思い出と寄り添うように。さよならは言わない。音楽は生き続ける。

ライター・宮本英夫

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