斉藤和義、ふるさとの原風景、重なる町の記憶を語る

スペシャル | 2017.06.26 12:00

斉藤和義、ふるさとの原風景、重なる町の記憶を語る

CHAR25
編集部:斉藤さん、ふるさとについて記憶に残る場所や風景を教えてください。

自分の地元はおもちゃの町って呼ばれてるんですけど、ただの工業団地なんですよ。おもちゃメーカーの工場がたくさんあって、その下請け的な工場もバーッとあって、その外れのところにみんなの社宅がある。俺は生まれた頃に栃木に引っ越したんだけど、その町もちょうど出来たばかりだったんです。山も何もないダーッとした関東平野に工場を作って、そこで働くためによそから来た人たちが住み始めた町。古地図を見ると戦争中は自衛隊か何かの空港があったみたいで、今もある駅前のすごく長い1本道は滑走路だったらしいんですよね。子供の頃に遊んでた場所も、林というか森みたいになってるのに、よくよく見てみると下がアスファルトで、何キロとか書かれてたんですよ。そこから木がドワーッと出てた。その光景は結構ゾクゾクしましたね。
工場が出来てそこに住む人の家も増えて、そのうち大学病院が出来て、スーパーとかパチンコ屋、居酒屋も出来て。俺が高校の頃がピークでした。そこからまた衰退していったんだけど、今は東京からも通えるってことでベッドタウン化してますね。
デビュー前、トラックで工事現場に資材を運んだり、引越しの粗大ゴミを捨てに行くバイトをしてたんです。今のお台場のあたりなんですけど、当時は13号地って言われてて、いわゆる「夢の島」と呼ばれてたゴミ捨て場だったんです。地図を見ながら決められた場所に運ぶんだけど、タンスとか放り込むと粉々になって落ちていくような巨大な穴が空いたりもしてました。そこが見る見るうちに整備されて、アスファルトになって、だんだん今のお台場になっていったんですね。当時はまだ建物も何もなかったから、その景色と、栃木のおもちゃの町の感じがすごい似てるなと感じてました。
余談ですけど、その何もないお台場の埋め立て地に夕暮れ時ぐらいに行くと、カラスつかいのおじさんがいたんですよ(笑)。太極拳みたいな動きをしてると、カラスがおじさんの手のまわりをあっち行ったりこっち行ったりするんです。すごいシュールでしたよ。あれは何だったんだろうって、今でも忘れられない(笑)
いろんな建物が取り壊されていつのまにか新しくなったりするけど、それがもともと何だったかとか、すぐ忘れるじゃないですか。東京出身者じゃないからかもしれないけど、ああいう感じって昔からずーっと気になっちゃうんですよね。家の近所とか歩いてても、また取り壊したけどここ何だったっけ?ってすごく気になる。小さい頃の原体験みたいなものが関係あるかどうかはわかんないですけどね。

 

CHAR25
編集部:「楽曲制作には直接影響はしていないと思います」とおっしゃっていましたが、
ふとした風景から呼び起こされる記憶、とても興味深いお話でした。
斉藤和義さん、ありがとうございました!

 

 

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