HOUND DOG “ベスト・オブ・ベスト”で挑む40周年ツアー開催!「ロックンロールは永遠の未完でいい」キャリアを重ねる中で得た確信を大友康平が熱く語る!

インタビュー | 2020.02.14 18:00

「ロック・バンドが愛なんて歌っちゃ終わりだぜ」なんてことを言ってる連中を全部、敵に回すくらいの気迫がないと、本当の意味での次のステージにはいけなかった

──デビュー40周年を迎えるわけですが、デビューする時点では長く続けるということをどれくらい意識していましたか。
1980年当時、僕らから見て一番歳上のロックンロール・バンドというとローリング・ストーンズだったんです。ロックンロールのスターというのはドラッグか飛行機事故か、とにかくに何かのアクシデントで30歳まで生きていた人はほとんどいなかったんですよ。だから、僕らも“いつまで続けよう”とか、まったく考えないですよね。当時はロックのレコードなんてなかなか売れなかったから、いつレコード会社から契約を解除されてもしょうがないと思ってたし…。1年1年、必死でしたよ。だから、長く続けようなんて考えてもいなかったし、まして5年後はどう?10年後は?なんて、なにも考えていないですよ。
──デビューから5年目に「ff(フォルティシモ)」が大ヒットしました。そうなると、活動環境はずいぶん変わりましたか。
ロックンロールとバラードの二本柱でそれまでやってきて、でも大衆の心を鷲掴みにするというところまで行けなかったわけですよね。そこにもう1本の柱としてメッセージ・ソングというか…、「燃える男のロックンロール、心に染みるバラード、大地にしっかり根を下ろしたメッセージ・ソング」という3本目の柱ができたということですよね。「ff(フォルティシモ)」はシンセブラスのイントロで、大変新鮮で、でもロック・バンドの仲間たちには大変不評で(笑)、「ロック・バンドが愛なんて歌っちゃ終わりだぜ」なんてことを言われたりしたわけです。ビートルズだって「愛こそすべて」と歌ってるだろ!という話なんですけどね(笑)。でも、そういうことを言ってる連中を全部、敵に回すくらいの気迫がないと、本当の意味での次のステージにはいけなかっただろうなという気がしますね。
──そのお話の通り、HOUND DOGはそれ以前のアーティストが誰も成し得なかったライブの本数や日本武道館の連続公演を実現していくわけですが、でもそれは肉体的にはとんでもなく負担の大きいことですよね?
まあ、そうですね。
──それでも、そういうライブをやれることの面白みや楽しさのほうが大きかったんですか。
旅というものが好きだったような気はしますね。1年のうち2ヶ月間はアルバムのレコーディングをやって、10ヶ月で150から170くらいの本数をやるわけです。とすると、平均で1ヶ月の15本くらい。あの頃はだいたい3日続けてやって1日空いて、また3日やって、というスケジュールで、それが5回続いて15本ですよね。はっきり言って、自分自身に対してストイックでない人は、そういうツアーはきついと思います。僕の場合は、聴かせたい歌、感じて欲しいメッセージがあったから、それを全身全霊でぶつけていただけなんですけどね。丈夫な体、丈夫な声帯に生んでくれた両親に感謝しますって感じですよ。酒も本当にたくさん飲みましたけど(笑)、僕は毎日2時間なり2時間半の有酸素運動をやってるわけですから。歌いながら走ったり跳んだりして、水分も絞り切った後の注入ですから大丈夫だったんでしょうね(笑)。それはともかく、ある意味では人間の限界を超えてると思いますよ。150本というのは。
──変な比較かもしれないですが、当時のプロレスの巡業と変わらないくらいの数ですよね。
そうそう!北海道の北見の焼肉屋さんで天龍源一郎さんに出会ったりしましたけど(笑)、同じような感じで全国をまわってたんだと思いますよ。
──そこで、それこそスポーツ選手なら、野球にしてもサッカーにしても、キャリアを積んでいけば、立場も上になるし、年棒も上がるし、モチベーションをずっと同じ状態にキープし続けることはなかなか難しいと思います。大友さんがそういう過酷なツアーをずっとやり続け、さらにはボーカリストとしてのキャリアをここまで重ねてこれたのは、ストイックという言葉もありましたが、何かを自分に課していたんですか。
いや、単純にロックンロールを歌うことが好きだっていう、その一点なんじゃないですか。サッカー選手にしても野球選手にしても、その競技が好き、そして上手くなりたいという、その一心だと思いますよ。ただ歌は、というか芸術はなんでもそうだけれど、何を基準に上手いというのかっていう、判断基準はないですから。ピッチが合ってれば上手いのかって言っても、歌というのは切ない曲は基本的にはフラットにしなきゃダメだし、明るい曲は若干シャープ気味でもいいわけですよね。だから、“上手くなりたい!”、“上手いと言われたい!”と思ってずっと転がっていくうちに、上手いって何だろうな?と疑問を感じる瞬間があるんですよ。で、それでもずっとやってると、「あのボーカル、いいよね」と思われたら幸せだなと思うようになってきましたね。
──そうなってきた大友さんのなかで、“今日のライブは良かったんじゃないか”、“今日はいい歌が歌えたんじゃないか”と自分でも納得することはありましたか。
だいたい1割ですね。150本やったら、15本くらいはそういうライブがありました。そのなかでも、本当に自分のイメージ通り、自分が思い描いていたシナリオ通りにビシビシ全部決まるのは年に5本あったかなあという感じなんですけどね。ただ、ダメだなというのは1本も無いです。前半がダメでも後半で、後半がダメなら終盤で、それでもダメならアンコールで死ぬ気で盛り返すっていう(笑)。とにかく何がなんでも、お客さんに納得して帰ってもらうということだけはやってきました。
──そういうライブも経験するといよいよ本当に納得のいくライブがやれた時のことを思い出して、“あの時みたいにやろう”と考えてしまったりしないですか。
“あの時みたいにやろう”と思っても、絶対にできないですから。お客さんの雰囲気も違うし、メンバーのテンションも違うし、僕自身の体調も違うから。僕はセット・リストを一度決めたら、ほとんどいじらなかったんです。話の内容までも、変えない。同じ内容でやって、1本目から千秋楽までの間にどれくらい成長したか?それを見極めることのほうが面白かったですね。
  • 兼田達矢

    取材・文

    兼田達矢

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