the chef cooks meが20周年を迎えた今、アルバム『回転体』再現ツアー開催へ。来春の活動終了を前に振り返る、下村亮介にとってのバンドとは?

インタビュー | 2023.09.08 17:00

2003年に下北沢で結成し、今年20周年を迎えたバンド、the chef cooks me。洋楽・邦楽のエッセンスが混じり合ったどこか懐かしくも新しいサウンドと、情緒的で歌心のあるメロディでインディロック・ファンの耳と心を掴み、さらにその想像力・創造力はホーンセクションやストリングスも交えたカラフルでめくるめくポップ世界を描き、またグルーヴィなR&Bやエレクトロタッチなサウンドにも触れたりと、自由にクリエイティヴに走り続けた。パーマネントなメンバーを擁したバンドでの活動から、下村亮介ひとりになり、シェフ印は褪せぬままで貪欲にそのサウンドスケープを広げてきたthe chef cooks meだが、20周年を迎える今年、2024年春をもって活動を終了することを発表した。

現在、最後のスタジオアルバムの制作が進んでおり、そのアルバムを携え2024年3月にリリースライブ、そしてラストライブを行う予定だ。そしてそのライブを前に、アニバーサリーイヤーにふさわしくthe chef cooks meにとってエポックメイキングとなった2013年のアルバム『回転体』の再現ツアー「回転体再展開Tour」が、9月9日・鹿児島よりスタートする。アルバム制作時や当時のツアー時のメンバーが揃うライブとなる。このツアー開催への思いや、現在の心境、下村にとってのthe chef cooks meというバンドについて、たっぷりと語ってもらった。
──今年3月に、the chef cooks meは2024年春をもって活動を終了することがは発表されました。そのコメントで、「昨年延期の末に開催することが出来た『Tour 2022 “Feeling”』によって、そこまで抱えていた呪いのような鬱屈とした気持ちも、何かや誰かに対してアンチテーゼのように掲げた『とにかく続ける』という意固地な姿勢も嘘のように消え失せていき、20年というひとつの節目に最良の形で幕を下ろすことにしました。」とありました。結成から20年、メンバーの入れ替わりがあったり、現在は下村さんがひとりとサポートメンバーとなってthe chef cooks meの形も変わってきました。さまざまな変遷で色とりどりの作品を作りここまで走りぬいてきたこと、また「Tour 2022 "Feeling"」を完走して得た充実感は、このバンドに幕を下ろすこと、に繋がっているんでしょうか。
下村亮介正確には「Feeling」のツアーに出る前に、おおよそ活動を終了することは決めていたんです。ただ、ツアーに行けば楽しいからやっぱり続けようかなと思うんだろうなとは思いながらも、その先の自分が、the chef cooks meのソングライターとしてではなくて、ひとりのミュージシャンとして音楽に携わる人間として、40歳を超えてやりたいことが積み重なってきていたので。結成20周年だし、元々はバンドではじまったもので、今はひとりでやっているのもそれはそれで楽しくもあり、出会いもたくさんあるんですけど、やっぱりバンドっていいなって(笑)。バンドでいる内に終わったほうがいいかなという感じはありました。
──最良の形で、というのはそういうことだったのですね。そして9月9日からは3rdアルバム『回転体』(2013年)の10周年を記念した「回転体再展開Tour」がスタートすることも発表されました。リリースから10年という節目ではありますが、来年を見据えた中で、再びこの2023年に『回転体』という作品でツアーをするというのはどんな思いからだったのでしょうか。
下村これもコロナ禍くらいから考えていたことだったんです。『回転体』というアルバムは当時、ドラム(イイジマタクヤ)とギター(佐藤ニーチェ)と僕がパーマネントなメンバーで、そこにベースとコーラスふたり、キーボードとブラスが3管という10人編成でツアーを回っていたんです。ここ4、5年で大所帯の編成も増えてきましたけど、2013年当時はあまり10人編成のバンドがいなくて、大所帯でツアーをするならではの難しさもあったんですね。大きな会場でお客さんの動員も多ければそこまでハードルは高くなかったりするんですけど、僕らは当時200人キャパのライブハウスでサウンドの表現を求めてやっていたので(笑)。スタッフにもメンバーにも苦労はかけていたし、自分自身もその難しさに苛まれていることもあったんです。
──大所帯のバンドで全国のライブハウスをツアーするとなると、移動や費用の面でもなかなか大変と聞きます。
下村ただやっぱりあのタイミングでthe chef cooks meに出会ってくれた人や作品に触れてくれた人がすごく多いんです。20年バンドをやっているといろんなタイミングで足を運んでくれる人や、SNSを介してコンタクトをとってくれる方がいるんですけど、目に見えてお客さんが増えたのはGotchさん──後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)にお世話になって、Gotchさん主催のレーベル<only in dreams>からリリースした『回転体』がターニングポイントだったので。あの時は自分にあるものをただただまっすぐな気持ちで作って、出したという感じだったんですけど。リリースから10年近く経って、この音楽を欲してくれる理由が自分でも客観性を持って感じられるようになってきて。コロナ禍でライブがなかったりとか、自分自身も内省的な音楽を作るようになってきたのもあって、ここでもう一回あのアルバムを再現したいなとは2年前くらいから漠然と考えていたんです。ただ、どうせやるならいろんな人に受け入れてもらえて、自分たちも大きなターニングポイントとしてできるタイミングがいいよねということで、アルバムのリリースから10周年の今年に行おうということだったんです。
──『回転体』のリリースは2013年ですが、アルバムを作っている頃は東日本大震災がありましたね。震災とコロナ禍では、また状況が違うとは思いますが、あの作品が持っている心の機微や、音楽がもたらす憂いも高揚感も、すごくいまにも響く内容になっていると改めて思います。時代に沿った、時代を反映された作品でもありましたが、同時に普遍性もある、歌詞の意味合いも時とともに味わいが変わるポップ・ミュージックの良さが詰まっていますね。すでにライブのリハにも入っていると思うんですが、改めて歌ってみて演奏してみて、『回転体』という作品について、また10年前の自分の想いや変化など、振り返られることはありますか。
下村ちょうど今、ライブのリハをやった次の日にギターの佐藤ニーチェとインスタライブで1曲ずつスローバックしていくというか、振り返っていくことをやっているんですけど。まさにこのアルバムができる背景にはどうしても2011年3月11日の東日本大震災があって、主に歌詞の面ではそれがきっかけとなって筆が進んでいったのはあって。ただ当時は自分自身もあまりよくわかっていなかったんですよね。紆余曲折ありながらGotchさんと出会えて、自分が表現をするチャンスをいただけたタイミングで何を歌えるのかっていうのもあったし。震災を機に自分が歌詞を書こうと思ったのもきっと、そこでGotchさんと出会えたからだったんです。もちろんそれだけではないんですけどね。
──どういう面での影響だったと思いますか。
下村僕がGotchさんと出会ったのは、Gotchさんが自費で「THE FUTURE TIMES」という新聞を作ったり、ひなっちさん(日向秀和)と支援活動や義援金を集めるライブをやっていたタイミングだったんです。もともと、若手のフックアップをしたりとかもっといい音楽を世の中に引き上げていこうと「NANO-MUGEN FES.」を開催したりという活動もありましたけど、それ以外も背負ってこの人は音楽と共に歩んでいく人なんだなというのが印象的だったんです。そんなGotchさんの背中を見ていい影響をいただいて、自分も何かもう少し世の中と交わる音楽を作りたいなと思った。それで曲を作り進めていけたんです。でもいま振り返ると、当時の楽曲はすごく優しいんですけど、ものすごい悲観的でもあるんです(笑)。きっと、何かに希望は見出していたいと思ったし、見出していたと思うんですけどね。なので当時を振り返ると、時代性も感じるし、自分が当時から何か変わっているかと言ったらもちろん変わっていることはあるんですけど。礎となっているのは、あの時の経験や出会いだったのかなと思いますね。
──それが、バンドにとって大きな一枚になった。
下村それゆえに、メンバーがそこから離脱してから演奏するのがすごく難しかった時期もありました(笑)。
──多彩な楽器が折り重なった洗練されたサウンドでしたが、そこにはやっぱりバンドならではの呼吸や意思疎通があったから?
下村昔はとにかくバンドで各々の個性をぶつけてグタグタに混ぜてえい!みたいな感じだったんですけど。日本の古き良き音楽から刺激を受けて、もう少し楽理(音楽の理論)とかをしっかりしたいよねという背伸び感もあったので。結構、ややこしいんです。それを手練れの方に演奏してもらえば、もちろんすごくうまくいくんですけど。なんていうんですかね……このバンドとこのメンバーでしかない何か、というか。そんな名前が書いてあるような演奏がミックスされているものなので。上手に演奏をすればいいというわけでもないんですよね。
──なるほど。そういうことで今回の「回転体再展開Tour」で、オリジナルのメンバーである佐藤ニーチェさんとイイジマタクヤさんが参加するのは、必然なわけですね。
下村そうですね。イイジマくんに関しては双方合意の上で離れ離れにはなったんですけど。とはいえ、なんで彼が離れることになったんだろうとそれ以降も考えたりすることが多かったんです。さみしさもあるし、多少の憎しみや悲しみもあったと思うんですけど。ただそれを無理やり、これでよかったのだって形で収めて僕らは続けていく、彼は自分の人生を歩んでいくというのは、作為的な美談なような気がしていて。そのモヤモヤした中で彼との別離があったので、それの思いを抱えたまま、以来いろんなドラマーに助けてもらったり、音楽性を変えたりしていたんですけど。結局それが10年経って、なんとなくこういうことだったのかもしれないなって自分もわかってきた感覚もあって。こんなことは二度とないから、もう一回できたらなと思って。それでふたりにはオファーをしたんです。
──ちなみに話をした時ふたりはどんなリアクションだったんですか。
下村昨年の5月に話をしたんですけど。イイジマくんに関してはCOMEBACK MY DAUGHTERSで叩いている都合もあってやってくれるかなという感じだったんですけど。わりと二つ返事でやろうという感じで。ただその時酔っ払っていたので次の日に不安になって、「昨日やろうって言ってくれたんだけど、大丈夫?」って電話しましたですけど(笑)。そしたら恥ずかしかったのか、「え?そんなこと言ったっけ」みたいな感じでしたけど、「やるやる」っていう、そんな調子でしたね。佐藤くんに関しては、仕事の都合で彼は『Feeling』(2019年)のアルバム制作中に離脱をしていて。そこから定期的に連絡はとっていたんです。それでイイジマくんもドラムに迎えてこういう形で『回転体』の10周年をやりたいんだと話したら、自身もギターを弾きたいという気持ちやthe chef cooks meで演奏したいという気持ちを持ってくれていたので。「断る理由はない、やりましょう」という答えでしたね。
──実際にいまリハーサルをやっていての感触はどうですか。
下村面白いですね(笑)。僕自身ふたりが抜けた後は、6人のサポートメンバーでライブをしていて、彼らの人となりも演奏も大好きなので、『Feeling』のツアーも、この人たち以外には考えられないなという思いで回っていたんですけど。やっぱりふたりが演奏すると……言葉ではうまく説明できないんすけど“これだわ”っていうか。ベースの中西くん(中西道彦/Yasei Collective)は何年もthe chef cooks meで演奏をしてくれているんですけど、彼も「ああ、こうなるのね」って(笑)。何か、“これ”とか“こうなる”っていう言葉でしか表せないような感触があるんですよね。
──それは若かりし頃からともに走ってきたバンドならではの感触なんでしょうね。今回のツアーでは、アルバムに参加していたちゃんMARIさん(ゲスの極み乙女)、その後のツアーに参加していた方での編成となりますが、10年前にプレイしたときと今回とで「この曲ってこんな難しさがあったのか」とか、印象が変わるような曲はありますか。
下村すごく細かいところで言えば、このコード間違ってたなとか、ここのこの音、入れる必要あったのかなとかはあったりしますね。でもその音を抜いたら抜いたで、なんか物足りなくなったりエナジーを感じられなくなることもあるんです。あとは難しさというよりは、ごちゃごちゃの脳内で作っていた作品なので、この1曲で多分あと4曲は作れたよねっていうのはありますね(笑)。
──それくらい1曲に詰め込まれていると。
下村詰め込んでいましたね。ただ歌ってみると、転調したり変拍子を使っていたりとか、いきなりテンポチェンジする理由がちゃんとあるのが不思議なもので。これもまた説明がつかないんですけど、当時の自分には理由があったんだなと感じることはありますね。近年プロデュースや編曲をするようになって、俯瞰的に見れるようになった自分が演奏をしていて、ここはこうしてあげようとか、ここは簡単にしてあげようとか、そういう過去の自分たちをプロデュースしている気分でやっている瞬間もあります(笑)。
──個人的には、10年という時間を経た今だからこそ、このアルバムが持つハッピーさというのを今回はより出せるんじゃないかなという期待感もあります。
下村そうですね。そういう意味では、当時ツアーを回っている時は悲喜こもごもがありすぎて、自分の挙動もおかしかったような気がするんですよね。
──そうだったんですか(笑)。
下村ポジティヴな曲で楽しそうに歌っているんだけど、どこかしらで腹立たしさがあるというか──そんなようなことを、当時見にきてくれた友だちのミュージシャンに言われていましたね。都合の悪いことだから自分の記憶からはカットしていますけど(笑)。いま演奏すると、喜びの方が大きいですね。悲しさとか怒りに対しての自分のアウトプットの仕方とか、そういった感情を持っているにしてもそれをどう音楽に忍ばせるかのうまいコントロールができるようになってきたのは、歳を重ねてよかったことですよね。あとは、数日前にスタジオで演奏していた時に、なんの号令もなくふと音量がでかくなって、自分も妙に熱っぽく歌っていたことがあったんですよね(笑)。これ、なんなんだろうなあっていう。こういうの確か、昔あった気がするなっていう。
──スイッチが入る瞬間があるんですね。
下村でもそれが怒りとかではないんですよね。
──先ほど、2013年当時はこうした大所帯の編成のバンドは少なかったということでしたが、今やJ-POPでもロックでも大所帯で実験的なことをやったり華やかなショーをしたりというバンドも増えたと思うんです。the chef cooks meは早かったなという思いはありますか。
下村はははは(笑)。いや、そこに関して言えばインディーレベルでこうした表現形態をとるバンドがたまたまいなかっただけで。音楽の時流もあると思うんですけどね。僕がそもそもthe chef cooks meを3人のアコースティック編成から10人編成にしたのは──その時もじつは辞めようとしていたんですよね。もうしんどいねっていうか。でも自分の曲が、いろんな楽器やいろんな人が演奏をしてくれるとエナジーが増していったりとか、急に開けた感じなることは理解していて。その時に自分がお手本にしたのは、小沢健二さんがアルバム『LIFE』で東京スカパラダイスオーケストラとかとやっているのを見た時で。そう考えると、僕がたくさんの影響をもらった90年代はOriginal Loveとかがいたり、あとはサザンオールスターズもそうだし、基本的にはたくさんあったんですよね。なので俺が早かったというのはまったく思ってないんです(笑)。絶対いろんな人がいた方が、音楽は面白いよねみたいな感じだったんですよね。
──今回のツアーでは、東京はキネマ倶楽部で大阪はShangri-Laという、前回のツアー以来約10年ぶりの会場となっていますね。
下村どこでやるかという話になったときに、やっぱり当時の、思い入れがあるライブハウスやハコでやりたいなというのがあって。そこ以外は考えられなかったんですよね。
──ツアー初日が鹿児島県でCAPARVO HALLですが、この鹿児島を回るのはどういう経緯だったんですか。
下村鹿児島はちゃんMARIが出身地というのもあったり、それこそアジカンのメンバーの大学の先輩が鹿児島にいたりとか、いろんな縁があって。当時、『回転体』の編成でどうしても来てほしいと、SR Hallの店長さんだった子が連絡をしてくれて。それでツアー終了後にエクストラショーとして鹿児島でライブをやったことがあったんです。その時になんでこんなに盛りがってるの?とか、the chef cooks meのことなんでこんなに知ってるのっていう感じで迎えてくれたんですよね。鹿児島の音楽コミューンが活発なのは知っていましたけど、こんなに愛してもらえるならまた絶対行きたいなと思って。今回、東京と大阪ともう1ヶ所をどこにするかという時に鹿児島だなと思って、リクエストしたんです。
──また熱い一夜になりそうですね。そして来年3月にはO-EASTでの2公演、「“the chef cooks me” Release Show」と「“the chef cooks me ”LAST SHOW」が決定しています。スタジオアルバムとしては最後となる作品もリリースとなりますが、制作はいまどのような感じで進んでいますか。
下村基本的には宅録で作っている段階で、なんとなくこんなアルバムを作りたいっていう設計図だけ作って、その中にこういう曲がいい、こういう曲があればっていう感じで作っているところですね。あとは、誰と一緒にこの曲をやるかが僕にとって大事な部分なので。そこを迷いながら、ああでもないこうでもないとやりながら、声をかけたりしている最中ですね。
──これがスタジオアルバムとして最後となると、力が入ってしまうというのもありますか。
下村逆に、すごい軽ノリで作ろうって思ってたんですけど。いざ、いろんなことを想像していくと、それじゃダメな気がするなとか(笑)。なかなか、みなさんそうだと思うんですけど、アルバムを作るって大変ですよね。
──完成を楽しみにします。またこの先の下村さんとしては、いろいろやってみたいことがあるということでしたが、またバンドを一から作るというのは、どうなんでしょう。
下村まあ、ないのかなあ。あまり決めてないんですよね。誘われたらほいって入るかもしれないけど、自分が作るっていうのはないかな。自分が責任を持って作っていく、誰かに声をかけて作っていくものって、僕自身あまり器用じゃないので、どうしても毎日そのことばかり考えるから、一緒に関わる人たちのお仕事とかを少し犠牲にしてしまったりとかもあるので。そう考えると、ここから数十年でいろんな人と1曲でも、2曲でも何曲でもいいんですけど、いい音楽を作って、日本に残せればいいかなというのはありますね。そっちの方がバンドを一から作るよりも、何倍も魅力的に感じるというか。
──そういうことでは、the chef cooks meはいい青春ですね。
下村そうですね。10年後でも20年後でもきっと、このバンドいいじゃんってthe chef cooks meに出会ってくれる若い子とか、たくさんいるんだろうなっていう。そこだけは自信を持って言えるし、そういう作品を作ってきたなと思うんです。

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