ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー(名曲の舞台へ)」 世界の音楽聖地を歩く 第15回

コラム | 2016.09.13 19:00

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

リバプール最大の観光資源はもちろんビートルズである。街のゲイトウェイである空港は2002年に「リバプール・ジョン・レノン国際空港」と命名され、ターミナル内外にはジョンのアイコンがいたるところに設置されている。複数の壁面にはジョンの名曲『イマジン』の歌詞が掲示され、この空港のキャッチ・コピーは『イマジン』の歌詞の印象的な一節である「アバブ・アス・オンリー・スカイ」だ。リバプール市は人口の減少に歯止めをかけるために街の再開発に力を入れ、この空港もそのプロジェクトの一環としてリフォームされた。10年の歳月をかけた街の再開発のテーマが ”ビートルズ” で、その目論見は大成功となり、リバプールを訪れる観光客の数は、再開発前の8倍という記録的な伸びをみせた。街中に残る若き日のビートルズの足跡を求めて、世界中から多くのファンが訪れている。

 

beatles03

ジョン・レノンとポール・マッカートニーが初めて出逢ったのは1957年7月6日。自分のバンド ”クオリーメン” を結成したジョンは、この日の午後、リバプール郊外のウールトンにあるセント・ピーターズ教会で開かれた野外バザー会場で演奏した。そして夜はこの教会の小さなホール(写真上)で演奏することになっており、そこで友人から紹介されたのがポール・マッカートニーだったのだ。名門グラマー・スクール「リバプール・インスティテュート」の学生だったポールは、この当時から頭脳明晰で天才的なずる賢さを持ていいたという。悪さをしでかしても絶対に見つからないという、要領の良さと柔軟な人当たりは友人の間でも定評があった。ジョンとポールは意気投合し、間もなくギターを抱えて2人の家を行き来するようになると、早速たくさんの曲を作曲するようになる。それまで1曲も完成させたことのなかったジョンにとって、ポールの曲作りの手法は大きなヒントと刺激となった。この日常の小さな出逢いが、その後、20世紀の音楽を見事に塗り替えることになるのだ。

St Peter’s Church
c/o The Simon Peter Centre
Church Road, Woolton, Liverpool L25 5JF
www.stpeters-woolton.org.uk

 

2002年のリバプール・ジョン・レノン国際空港としてリニューアルされた際のセレモニーには、オノ・ヨーコも出席し、空港1階のチェックイン・ロビーに新たに設置されたジョン・レノンのブロンズ像の除幕式が行われた。地元で活躍する彫刻家トム・マーフィーが制作した高さ7フィートの作品で、世界中から訪れるビートルズ・ファンの記念撮影ポイントとなっている。そしてターミナルの外には長さ16m、高さ4.5m、重さ18トンのイエロー・サブマリンのオブジェ(写真上)が設置されている。これは1984年に開催されたリバプール・インターナショナル・ガーデン・フェスティバルの会場に展示されたもので、世界的に有名なキャメル・レアード造船所で働く80人の見習い技師たちによって建造した本物の潜水艦である。2005年にこの場所に設置されて以来、リバプール・ジョン・レノン国際空港のシンボルとなっている。

 

『エリナー・リグビー』は、1966年8月に発表されたビートルズの13枚目になるシングル曲で、片面には「イエロー・サブマリン」が収録され、両A面シングルとして発表された。曲の内容は、エリナー・リグビーという名前の教会の清掃人として働く身寄りのない老女と、孤独なマッケンジー神父という架空の人物を悲劇的に書いた物語である。のちの『プレイボーイ』誌のインタビューで「最初の1行はポールが、残りは僕が作った」とジョンは語っているが、この曲の創作過程ははっきりしていない。かたやポールは「エリナーは映画『ヘルプ !』で共演した女優エリナー・ブロンから、リグビー”はブリストルで見かけた ”リグビー&エバンス”と記された会社の看板からヒントを得た。そして”エリナー・リグビー” という響きがあまりにも自然だったので歌に使ったのさ」と語っている。その後、前述のセント・ピーターズ教会(写真上左:ジョンとポールが出逢った場所)のウールトン墓地で、実在したエリナー・リグビーの墓(写真上右)が発見されちょっとしたニュースとなった。しかもこの墓石のわずか2列横には、ジョン・マッケンジーなる人物の墓があったのだ。歌に登場する神父はファーザー・マッケンジーである。ジョンもポールも少年時代にはこの教会に頻繁に出入りしており、夏の暑い日にはこの墓地にやってきて日光浴をしていたという。この時代に見かけたであろうこの墓石に刻まれたエリナー・リグビーとジョン・マッケンジーの文字が、ジョンとポールの記憶にどの程度残っていたかはわからないが、名前はぴったりと合致しているのである。その結果、ファンがたくさん訪れるようになりこの墓地はビートルズの『聖地』となったのだ。

 

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桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。