ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

2016.10.0415:00

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ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

リバプールでのビートルズゆかりの地めぐりで大人気なのが、上の写真の「ザ・ビートルズ・ファブ・フォー・タクシー・ツアー」だ。料金は5段階に設定されていて、一番安いツアーはビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインの名前をつけた”エプスタイン・キャブ”で、2時間で£50(以下すべて1人分の料金)である。3時間で回るツアー”レノン・キャブ”は£60。同様に3時間のツアーだが、前回で紹介した「カスバ・コーヒー・クラブ」に立ち寄るマッカートニー・キャブは£80で、ここの内部を見学する場合はプラ£15(1人)が加算される。そして5時間のハードコア・ツアー、ハリスン・キャブは£90。すべてのビートルズ・スポットを回るスター・キャブは£110となっている。このツアーは案内してくれるドライバーの案内が愉快で、彼らのビートルズに関する知識も相当な深さだ。

 

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

ビートルズ・ツアーのハイライトが通称”メンディップス”、ジョンが少年時代を過ごしたミミ伯母さんの家(写真上)である。現在はオノ・ヨーコが所有しており、歴史的建築物の保護を目的として設立されたボランティア団体であるナショナル・トラストが管理・運営を行なっている。内部にはジョンが暮らした時代の面影がたくさん残っており、要予約で見学が可能だ。ちなみに1988年には一般観光客と一緒にボブ・ディランも見学ツアーに参加している。ジョンはこの家で5歳から22歳までミミ伯母さんと暮らした。父親はジョンが1歳半の時に失踪し、母親のジュリアも男付き合いが激しく家に居着かず、姉のメアリー(ジョンはミミ伯母さん呼んでいた)にジョンを預けては放蕩生活を続け、挙句、新しい男と同棲を始めたのだった。業を煮やしたメアリーは強引にジョンを自分の家に引き取り、この家で一人っ子として育てたのだ。身勝手な振る舞いを続ける両親は、突然訪ねてきて気まぐれな愛情でジョンに接した。そのためジョンは不安定な精神状態が続き、この時代の体験は大きなトラウマとなった。

John Lennon Childhood Home 251 Menlove Ave, Liverpool L25 7SA

 

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

この公営住宅(写真上)にマッカートニー一家が引っ越してきたのは1955年で、玄関の上の部屋がポールのベッドルームだった。翌’56年には母マリーが乳癌で亡くなり、音楽好きだった父親はポールと弟のマイケルを男手ひとつで育て上げた。名門グラマースクール、リバプール・インスティチュート(写真上)に通っていたポールは、この当時から明晰な頭脳と天才的なずる賢さを併せ持った少年だった。成績はいつでも中の上で、いたずらをしてもまず見つからない、そんな要領の良さには友人の間で定評があった。1957年7月6日、ポールはセント・ピーターズ教会のバザーで演奏していたクオリーメンというバンドのリーダー、ジョン・レノンに出会う。ポールがバンドに加入すると、ふたりはギターを抱えてお互いに家を頻繁に行き来するようになり、たくさんの曲を書き始めた。まだ1曲も自作曲を完成させたことのなかったジョンにとって、ポールの作曲方法は大きなヒントになり、刺激にもなった。こうして20世紀の最高のソングライター・チーム、レノン=マッカートニーが誕生したのである。

Paul McCartney Childhood Home 20 Forthlin Road, Allerton, Liverpool L18 9TN

 

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

褐色にペイントされた家はジョージ・ハリスンの生家(写真上右)で、ジョージはこの家の2階の小さな部屋で生まれた。1階も2階もそれぞれ2部屋あるがトイレは外にあり、風呂も暖房も完備していなかった。ここに両親と子供4人で暮らしていたのだが、家族6人で暮らすにはあまりにも手狭だった。裕福ではなかったが、ジョージは素晴らしい家族愛に包まれて少年時代を過ごした。成績も良く、ポールと同じリバプール・インスティチュートに進学したがまったく校風には馴染めなかった。学生服の着用は無視して、いつも派手な服を着ていたという。母親にギターを買ってもらってからは、勉強はそっちのけで練習に明け暮れた。ポールと同じ通学のバス路線だったので、ポールはいつもギターを抱えてバスに乗り込んでくるジョージに声をかけた。ある日、ジョンに紹介して一緒に演奏したところ、予想以上の腕前だったのでクオリーメンに誘われたのである。白とピンクにペイントされた家はリンゴ・スターが3歳の時からビートルズでデビューするまで暮らした家である。両親が離婚したので母親と2人での暮らしだったが、生活は貧しく幼い頃から病弱な少年だった。小学校時代には大病を患い長期欠席し、勉強はまったくできなかった。15歳の時学校を追い出され、以後は様々な職を転々としながら、母親の再婚相手のコネで機械工の見習いの職を得る。ここの職場仲間と結成したバンドでドラムに出会い、次第に夢中になっていったが、リンゴがジョン、ポール、ジョージに出会うのはまだしばらく先のことだった。

George Harrison Childhood Home  12 Arnold Grove, Wavertree, Liverpool
Ringo Star Childhood Home  10 Admiral Grove, Dingle, Liverpool

 

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

ザ・ビートルズ「ファブ・フォー・ツアー」 世界の音楽聖地を歩く 第16回

1940年10月9日、ジョンはリバプール・マタニティ・ホスピタル(写真上)で生まれた。煉瓦造りの重厚な建物で、入り口横には「ジョン・レノンはここで生まれた」と記されたプラーク(写真上左)が埋め込まれている。付近にはジョンが最初の妻、シンシアと暮らしたフラットも残されている。シンシアはこの当時すでに妊娠していて、1963年4月8日に出産している。この子がジュリアン・レノンである。この年からビートルズの大躍進が始まり、『プリーズ・プリーズ・ミー』を皮切りに『抱きしめたい』『シー・ラブズ・ユー』『フロム・ミー・トゥ・ユー』などNo.1ヒットが続き、翌1964年にはヒットチャート10位のうち5曲をビートルズが独占した。ビートルズ旋風は瞬く間に世界中を席巻し、ビートルマニアを大量に生み出すのである。

 

ザ・ビートルズ – ORIGINAL Fab Four Taxi Tour Liverpool

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。