渋谷公会堂物語 〜渋公には伝説という魔物が棲んでいる〜 最終回 語り手:渋谷公会堂プロジェクトチーム「先端的であると同時に人間性あふれるホールにしていきたい」

コラム | 2019.10.16 11:30

最終回

語り手:渋谷公会堂プロジェクトチーム
山科 功(所長 / 株式会社アミューズ)
新井映夫(副所長 / パシフィックアートセンター)
関 真麻(ホールマネージャー / 株式会社アミューズ)

この連載では、渋谷公会堂というホールで積み重ねられてきた伝説の秘密を、そのステージを経験したアーティストのみならず、様々な立場の人にお話を聞くことで探ってきたわけだが、今回は10月13日にオープンした新しい渋谷公会堂、「LINE CUBE SHIBUYA」の運営/管理を担当されるスタッフの方々にお話を聞いて、新しい伝説の可能性と行方を探ることで連載の最後としたい。
LINE CUBE SHIBUYAは、サザンオールスターズや福山雅治のマネージメント事務所としても知られるアミューズ、渋谷公会堂時代の指定管理者であり、舞台芸術をトータルサポートするパシフィックアートセンター、そしてLINE株式会社から成る「渋谷公会堂プロジェクトチーム」が指定管理者となっており、今回はそのチームを代表して所長の山科 功氏、副所長の新井映夫氏、そしてホールマネージャーの関 真麻氏の3氏に話を聞いた。
──新井さんが仕事で渋谷公会堂に関わられるようになったのはいつからですか。
新井渋公が平成17年にリニューアルをしまして、その際に渋谷区さんが指定管理者を公募なさったんです。そこで、私がいたパシフィックアートセンター(以下PAC)は渋谷区さんが管理されていた時代から舞台の音響、照明のスタッフを入れていたこともあって、応募したんです。結果、なんとかPACがやらせていただくことになったんですが、私自身がPACに入ったのは17年の5月だったかな。と言うのが、PACは音響や照明といった技術系の人間ばかりで、私は松竹芸能というところで舞台制作をやっていたので管理の仕事もできるだろうということでPACの知り合いから声をかけていただいて、やることになったんです。だから、私が渋公に関わらせてらいただいたのは平成18年の10月に「渋谷C.C.Lemonホール」という名称になって以降の話で、その前の渋谷公会堂時代のことは知らないんです。松竹芸能時代の制作の仕事も芝居ばかりだったので、渋谷公会堂にはほとんど来ることがありませんでした。だから、音楽の舞台制作の裏側も覗いてみたいなと思って、引き受けたんですよね。それから約10年やらせていただいて、建物自体を建て替えるということになったわけです。
──この連載に高木ブーさんに登場していただいた際に、「8時だョ!全員集合」の会場として長く使われることになったのは舞台が回るホールが他に無くなってしまったからという内容の話をされていたんですが、芝居のホールまで含めて振り返った時に、昔はそういうホールはけっこうあったんですか。
新井現在でも歌舞伎座や松竹座といった劇場には回り舞台もありますし、セリや花道もあるわけで、古くからあるお芝居の会場に関してはそういう設備があるのが普通と言っていいと思うんですけど、区の公会堂に盆(回り舞台)があるというのは珍しかったんじゃないかなと思います。しかも、音楽のホールでは盆やセリはあまり使わないですから、維持管理のことも考えてリニューアルのタイミングで撤去されたというふうに聞いています。
山科今回の新しいホールを内覧にいらした方のなかにも、「盆はないの?」と聞いてくる方もいますからね。やっぱり、「渋公と言えば盆」というイメージはあるんでしょうね。
──新井さんが渋谷公会堂で仕事をされるようになった時、それ以前に仕事されていた芝居の劇場と比べて、何か特徴や個性のようなものを感じられたところはありますか。
新井僕は、大阪の松竹座や中座、京都・南座といったところしか知らないですが、そういうところはどこも正面の構えからして重厚感のある作りになってるんですよね。でも渋谷公会堂は、入るとすぐロビーがあって、それですぐ客席でしょ。舞台から見てもお客さんがすごく近いし、客席は1階も2階もどこから見ても見やすくて、やっぱりコンサート向きのホールだなとは思いましたね。
──渋公で数々のステージ制作をされてきたInterblendの江口さんによると、搬入も90年代中頃までは正面からやっていたということなんですが…。
新井C.C.Lemonホール時代も、それはまだやってましたよ。楽屋口にはリフターがあったんですけど、2m×2mくらいの大きさだったんで、それも使いつつ、正面にも4トンくらいまではトラックを停められたので、そっちからも入れてました。ただ、昔はリフターもなかったから、全部を表から入れていたという話は聞いたことがあります。でも正面も、11トントラックはダメなんです。下が空洞になってたんで。
──2011年に東日本大震災がありましたが、渋谷公会堂はどこかが崩れたりというようなことはなかったんですか。
新井あの時は、楽屋口の扉のガラスにちょっとヒビが入った程度で、中は何もなくて大丈夫でした。あの3月11日は、当初予定されていたコンサートがアーティストの都合で中止になって公演が無かったんです。地震が起こった時は、そのアーティストのスタッフの方がいらっしゃって払い戻しの作業をやってるところでした。
──大きな被害が無かったのは何よりですが、それでもその日以降は、言わば開店休業のような状態だったんじゃないですか。
新井まあ、そうですね。ただ、地震があった翌々日の13日だったと思いますが、ウチの自主事業で子供向けのコンサートをやる予定になってたんです。で、もちろん「どうしようか?」という話はあったんですが、やったんですよ。そのことに対してはやはり賛否両論ありましたし、その後はみなさん自粛ということになったんですが、地震の直後にそういうこともやったんですよね。

旧渋谷公会堂 外観 提供:渋谷公会堂指定管理者

──山科さんが初めて渋谷公会堂に来たのは、仕事でいらしたんですか。
山科そうだと思います。渋公にはどこか、“憧れ”のようなものがありますよね。僕らは新人アーティストのマネージャーになると「まずは渋谷Egg-manだ」。それから、「道路を渡って渋公だ!」というのがあって、渋公はものすごくわかりやすい“目標”だったんですよ。何がそうさせたのか?と考えると、やはり、渋公が生んだ伝説のアーティストがいて、渋谷の音楽カルチャーが生まれて、そういった歴史があったからからこそ、勝手にイメージが植え付けられていったのだと思うんです。「いろんなアーティストが憧れていたホールだ」と伝え聞くことで憧れの対象になったっていう。もう一つは、ここで生まれたエピソードがたくさんあるのだと思います。マネージャーの立場だと、道路を渡って渋公に来て、「このキャパ埋められるのか?」と思っていても、イベンターさんが「やろうよ!」と言ってくれて、音楽雑誌のライターさんも「特集組むよ!」と言ってくれて、立場とか会社とか関係なく、自分ごとのように「みんなで勝負!」みたいな空気がなぜか渋谷公会堂にはあったんですよね。
──そういうホールの管理責任の代表という立場になられたのは、晴天の霹靂という感じですか。
山科アミューズはマネージメント会社であるわけですけど、チケット転売の問題についてコンサート事業者の方々と一緒になって取り組みをしていて、その中で「チケットは今後どんどん電子化していくべきだ」という議論が出てきたんです。その話の流れの中でLINEさんとの座組みが生まれ、「LINE チケットというものを立ち上げましょう」という話になっていきました。そこに、この新しく生まれ変わる渋谷公会堂の指定管理者の話が伝わってきて、LINEが持つテクノロジーの分野と、僕らが手を組んだら、新しいライブ・エンターテインメントの形を世に提案していけるんじゃないかという話になったんです。その拠点を作っていくということには大変興味がありました。ただ、マネージメント会社の人間というのは、基本的にはホールの管理をやられている方々と会うことがないんですよね。だから、こうしてその仕事をやらせていただくことになって、今は日々、勉強の毎日です。

公演情報

DISK GARAGE公演

LINE CUBE SHIBUYA DISK GARAGE公演情報

2019年11月17日(日) 藤井 風
2019年11月24日(日) ゆるキャン△
2019年12月25日(水) アリス九號.
2020年1月4日(土) まねきケチャ
2020年1月12日(日) フレンズ
2020年1月15日(水) ASKA
2020年1月26日(日) 夜の本気ダンス
2020年2月17日(月)2月18日(火) 高橋 優
2020年2月24日(月・振休) Angelo
2020年3月15日(日) ラックライフ
2020年3月22日(日) Saucy Dog
2020年3月24日(火)3月25日(水) KIRINJI
2020年3月27日(金) 有安杏果

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