渋谷公会堂物語 〜渋公には伝説という魔物が棲んでいる〜 第4回 語り手:田家秀樹(音楽評論家)

コラム | 2018.05.02 19:00

──音楽雑誌の取材しか入れていないというのも時代を感じますね。
その雑誌の取材で入っているライター以外は、見てないと思いますよ。どうしてインビテーションを出さなかったのか、当時のBOØWYのマネージャーで、死んじゃった土屋さんに後に聞いたことがあるんですよ。僕は、氷室さんはソロになってから取材するようになったんですけど、解散した後に彼から電話があって、「ソロになるにあたって、田家さんとお仕事したいんで、よろしくお願いします」と言われたんです。そのときに僕が「最後の渋公は見てないし、武道館とドームしか知らないけど、それでもいいんですか?」と聞いたら「田家さんはおじさんの世代だと思ってたから、いままで声かけなかったんですが、氷室がソロになるにあたっては、いままでと違うところに出ていきたいんで、一緒に組んでもらえませんか」と、彼は言ったんですよね。
──アーティストの力量を示すものさしとして渋谷公会堂が使えるようになってきた、あるいはみんなが使うようになってきたのはいつ頃だったように思いますか。
やっぱり、その80年代の半ば、バービー、レベッカ、BOØWYみたいなバンドが当たり前にやるようになってきた頃からですよ。もちろん、やっても埋まらない人もいっぱいいて、渋公をいっぱいにできるかどうかというのが目安として言われるようになってきたのがその頃ですね。LIVE INNは3日できたけど渋公は1日だな、とか。そういう感じでしたね。去年、小山卓治に話を聞く機会があったんですけど、彼は渋公より大きなところはやったことがないんです。彼はいまもすごくいいライブをやってるんですけど、小さいところで続けている人に特有の淀みみたいなものがないんですよね。背筋は伸びてるし、目はきれいだし、声は出てるし。で、「俺は渋公までしか知らないけど、いまでも渋公の2階に届くようなつもりで歌ってる。どんな小さなところで歌うときでも俺は渋公の2階を見てるよ」と言ったのが、最近聞いた渋公についての話でいいなと思ったことですね。
──88年・新宿に日清パワーステーションができると、「ロックすごろく」の進め方というか、ライブでのステップアップの順番がだいぶ変わりましたよね。
そうですね。しかも、その前にはホコ天もありましたから。確かにサクセスロードの辿り方は変わりましたよね。THE BOOMは渋公のライブで「そこ(ホコ天)でやってたBOOMです」というMCをしてたし、それからMr.Childrenを最初に見たのはパワーステーションで、そのときのライブは本当に体が震えるくらい良かったんです。その次に彼らを見たのが渋公だったんですけど、でもそれはちょっと妙だったんですよね。というのは、ライブ慣れしていない感じがしたんです。
──僕もそのときの渋公を見たんですけど、ちょっと驚きました。それでも、彼らはその後すぐに武道館まで行ってしまいますよね。
そうなんですよね。
──いまのお話を聞いていて思ったんですが、80年代は階段を上っていくようにライブ会場を大きくしていきながら、同時にライブの力もつけていって渋公にたどり着く、あるいはその先まで行ってしまうという物語だったと思うんです。でも、90年代以降は、いい曲を書いてすごくCDが売れると、ライブの経験を十分に積む前に大きな会場でやるようなるというストーリーも出てきましたね。
確かに、その通りですね。逆にTHE BOOMなんかは渋公を何度もやって、渋公をやるたびに変わっていった印象がありますね。
──さて、来年の5月頃には同じ場所に渋公が復活する予定なんですが、その新しい渋谷公会堂は、どういうホールになるだろう、あるいはなってほしいと思いますか。
NHKホールはありますけど、それでも渋谷のホールがないということが東京にとって、あるいは音楽シーンにとって、どれほどの損失かということはまず思いますよね。だって、あるべきところにないわけですから。あるべきところにいちばん必要なものがないという状態だから、まずそういう状態を早く脱すべきだと率直に思います。例えば東京ドームで2日ライブをやるよりも渋公で10日間くらいコンサートをやれる人の方が、存在価値があると思うんです。それは渋公に限らないけれども、ホールでやれる人のほうが音楽の伝わり方としては健全だと思っているので、渋公がそういうコンサートのメッカになってほしいということは強く思いますね。
──現在は、Zeppのようにスタンディング形式を基本にした、ライブハウス仕様の会場を使うコンサートが公演数という意味では主流になっていますよね。
確かにそうだし、若い人にとってはそれもいいんだろうけど、現実にはスタンディングはもう無理という年齢のお客さんがどんどん増えてくるわけですよね。だから、ちゃんと座ってロックが楽しめる場所のほうがより必要になってくると思いますよ。2000人から3000人のキャパシティがあって、ちゃんと座れて、音響もきちっとしてて、それでいて立ち上がってコブシも振り上げられるホールのほうが貴重だし、必要ですよ。それに、そういうなかからまた新しいものが生まれてくると思うし。
──新しい渋公で新しい伝説を作っていくアーティスト、あるいは音楽についてはどういうイメージが浮かびますか。
そういうものを生み出す音楽のタイプというのもおそらくあるんでしょうけど、でもどんなタイプのアーティストがやっても似合うホール、やれるホールがいいですよね。あらゆるタイプの音楽を生かすことのできるようなホールであるべきだと思います。昨日はパンクをやってたけど、今日はオーケストラをバックに朗々と歌う人がやってるっていう。いろんな音楽を全部同じところで聴ける、言ってみればドレスコードじゃなくてサウンドコードがないホール、という感じでしょうか。それでいておしゃれで、シックで、大人も子供も楽しめて、「やっぱり東京だよね、やっぱり渋谷だよね」と世界に向けて言えるホール。そういう場であるべきでしょうね。「ニューミュージックはサンプラザでロックは渋公」というのではなくて、「あらゆる音楽が渋公なんだよ」と言われるホール。演奏者にとっても、あそこでぜひやりたいと思う自由なホール。それが渋谷の街でしょ、と思います。渋谷だからこのホールなんだよと思える、街と一体になったホールになってほしいですね。

PROFILE

田家秀樹

1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。
1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、
「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て、音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。

NACK5「J-POP TALKIN’」(土曜22時〜22時30分)
FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」(月曜21時~22時)パーソナリテイー。
「毎日新聞」「B-PASS」「ワッツイン」などでレギュラー執筆中。

日本放送作家協会会員。

日本のロック・ポップスを創世記から見続けている一人。

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